好きこそものの。

今週のお題「私の年末年始」


年末年始は実家で従妹と、というのは毎年のことですが。
今年はすごく久々に(従妹としたのはおそらく初めて)百人一首をやって少し嬉しい気付き。

高校時代にクラス対抗の百人一首大会があって少し決まり字を覚えたぐらいで、全然歌は覚えていなかったのだけれど。
覚えている歌が増えた・・・というよりも、歌人と一緒に覚えたものが多かった。

日本史の時と似ているのだけれど。
何かきっかけがあれば覚える、というのは当たり前だけれど、私の場合、それが人間の物語みたいなものだと多い。
そのきっかけが大学の授業だったというべきか授業から派生したもの、というべきか。

歌を詠んだ方のエピソードとか、歌のエピソードとかあったりすると、印象に残るし、素敵な歌人だなあ、と思えば尚のこと。
そういえば百人一首の数少ない覚えている歌も歌人が好きで覚えてたなあ、と。
西行さんとか、紀貫之さんとか。

大学に入って前期の授業で百人一首の解説(江戸時代のもの)を解読する、という崩し字の授業で色々エピソード共に扱ったり、先生のオススメで授業受けてた皆まとめてハマった漫画「うた恋い。」なんかの独特のエピソード解釈とか、歌の超訳だったりとかそういうもので興味持ったぶん、好きな歌人さんとか好きな歌とかが出てきて、覚えようとしたわけではなかったけれども百人一首をやってみると「ああ、あの人の!」とか「ああ、あの歌!」っていうのが多くて。
あと日文でそういうのが好きな人が多いから、っていうのもあるのだろうなあ、と。

百人一首が楽しくなった年明け初日。

一昨日には我慢していたのだけれどついに冲方丁さんの「はなとゆめ」を買ってしまったり。(買って貰った、か)
昨日は何も知らずに訪れた大三島大山祇神社にて三十六歌仙の歌を見つけたりしてそういうのにテンション上がるようになったのだなあ、自分も、と思ったり。

一つ好きになるだけで、もっと楽しいことが転がっていることに気付いたりする。
そういうことを改めて感じたりした、そんな年始。

卒業するまでに百人一首の歌を覚えるとは言わないから、百人一首歌人皆に対して何かしら思うところのあるようになれてたらいいなあ、と無謀なことを考えてみたり。
その前に明日から始まる一年目の大学生活、無事単位を取らねばならないけれど。


そんな感じで、野火でした。


超訳百人一首 うた恋い。

超訳百人一首 うた恋い。

まだ四巻をゲット出来ていない。行く本屋行く本屋で売り切れている。

逆回転のない。

遅ればせながらのあけましでおめでとうございます、の御挨拶。
そして何より尋常じゃないぐらい久々。受験があったわけでもないのに何故こんなにほったらかしなのか、と反省。
今年はちゃんと新年の挨拶を出来る状況じゃなかったのがとても悔しい。

大学生活は早いよーって聞いたけれど、本当に早かった。一年生分、まだあと一ヶ月あるけど。
前回の更新が夏休み最後。結局授業の内容も記録したかったのに出来ぬまま。あっという間。

大学生活、本当に楽しかったけれど、反省もしたり、今までになかったこともあり、やっぱり過去を羨むこともあったり。
大学生活という実生活の方では反省とかちょっと思うところはあっても後悔はしてないつもりだけれど、はてなの方が一段とおろそかになってしまったことは本当に後悔。

たまにちょこちょこ覗いてはいたのだけれど、更新する時間もゆとりも取れず。授業で忙しい、他のことで忙しい、ゆとりが少し出来ると何かやりたいことを詰め込んでしまう、とかそういう感じでずるずると、でもあっという間に。


2013年、実は朝ドラにハマったのだけれど、上半期の「あまちゃん」に、逆回転、というのがあって。
架空の教育番組で、主人公扮するアキちゃんだけが使える、壊れたものを元通りにする逆回転、という力があって。作中でもつらい思いをした親友のユイちゃんが「アキちゃん、逆回転してよ」っていうメールを打つところがあったのだけれど。
何だかすごく胸にきて。

あらためて年があけてはてなをおろそかにしてしまって、せっかく何ものにも代えられない素敵な出会いを沢山貰っていたのに、そこの繋がりを自分から投げ捨てるような真似をしてしまったのは・・・って。逆回転出来ないのになあ、って。上手く言えないけれど。

実生活が楽しくても、実生活では得られないものがあるし、それは逆もまたしかりで。2013年の私にはキャパオーバーでも、2014年はもうちょっと欲張っていきたいなあ、って。両手にある幸せをみすみす逃すような真似はもうしたくない。


上手く言えないけれど、半年ぶりぐらいな感じで。
これからは、という決意を小さいながらも持ちつつ。

野火でした。



追伸 遅れに遅れたコメント返信。本当に申し訳ありませんでした。そして、本当に本当にありがとうございます。

檸檬の樹

広島県(今は)尾道市向島町
尾道向島間のフェリーを降りて小道を曲がればすぐそこ。
そんな場所に25年間ある、小さな喫茶店檸檬の樹」。
この八月いっぱい、つまり明日には閉店、ということで。
父君と母君と行ってきました。


父君が向島出身。高校生の時から通っていたとのこと。
私は二度ほど連れて来てもらった。小学校低学年だか、中学年だかぐらいで、記憶が曖昧なぐらい。
それでも覚えてて、「檸檬の樹」って難しいけれど素敵な響きと、落ち着く独特な調和された空間を持つその店内と、顔はうろ覚えでも、素敵だったことだけは覚えている、ご主人とその奥さん。窓際に飾られた置物と、それに陽の落ちる様子。
忘れたことはなくて、尾道に来た時から、行ってみたいな、と思いつつ踏み出せずにいた。
だから、閉店と聞いて悲しくて、どうしても行きたかった。

だけど、一番そうだったのは、きっと父君。

尾道の寮まで私を迎えに来てもらって、向かう。
雨で、閉店をしのぶ人も多くて、駐車場が空いていなかった。
どうするか、と言った時に「お前たち(母君と私)だけ先に下りて行っとくか?」と父君が店の前で言ったら、母君が「私は思い入れないもの。」と言った。
わかっている。母君からしたら、私が行ったところで、行きたいのは父君なんだから仕方ないでしょう、って言いたかったということ。
だけれど、言葉っていうのは、受け手が居るもので。
傍で聞いた私ですら、ぐさりときたから、父君は多分もっと深かった。

「じゃあ、いい」ってハンドルを切っちゃって。
何拗ねてるのよ、とか行けばいいじゃない、ってひっきりなしに母君が言うんだけど、それでも尾道に戻る道に乗っちゃって。
私も、ぐさりときたから止めれなくて。
何で拗ねてるのかわからない、って顔した母君に、あの言い方は傷つく、って携帯の画面で伝えてみたけれど、何となく伝わり切らなくて。
こういうことは別に初めてじゃなくて、重い空気になった時には仕方ないと思って口を挟まずに今までやってきたのだけれど。

でも、のった国道がただ尾道に戻るだけじゃなくて、私の寮に出る道だったから。
嫌だな、って思って。このまま行かないで終わってしまうのが、すごく嫌だな、って思って。
記憶は曖昧でも、私の中にはちゃんと思い入れがあって、行きたくて、そんな場所で。最後なのに行かないのは嫌だな、って。
そして私と同じように、あの時・・・と後悔しては馬鹿!って自分に声を上げたりするタイプの父君が、行かなくて後でまた後悔するのも嫌で。

初めて、口を挟んだ。おそるおそる、「行かないの?」」って聞いた。
「もういいよ」って返す父君に「尾道の駐車場に車を止めて、フェリーに乗って行かない?」と食い下がった。
「行きたくない人も居るならいい。」って言う父君の言葉に返した母君の言葉に、またぐさりぐさりと来たりして。
「行きたくないって言ってないじゃない。思い入れがないってだけで」「特別行きたいのは私じゃなくてあなたでしょう」「せっかく付き合ってあげたんだから行こうよ」

わかってる。母君がこういう性格で、悪気はないということも、周りの人がみんな同じ目線で物事を見たり考えたりするわけじゃないっていうこと。
それでも、傷つくものは傷ついて。父君と「だから、」と言いかけてやめたり、思わず浮いた手をそのまま落としてみたりもした。

でもやっぱり嫌で。「私は行きたい」って訴えたら、寮を目前にして父君が車を止めて。
「今の時間から行ったら野火もしんどいし、無理しなくていいよ」ってこっちを向いて。

また「私は行きたい」って言ったら、そしたら、自分でもびっくりなことに涙腺が緩んでしまって。
「お前が泣くことじゃないだろう」って呆れたように言われたけれど。

自分でもよくはわからないけれど、多分ぐさりぐさりと刺さった言葉の感覚とか、緊張しながら食い下がったこととか、行きたいって思いだとかがそういうものが入り混じって、キャパオーバーになってしまったのだと思う。
過去にも覚えがあるけれど、キャパオーバーになった私は泣く。
そして普段あんまり泣かないから、びっくりされる。

今回もびっくりされたけど、それでもそのおかげか、父君はUターンしてくれて、もう一度、向かった。

途中で電気店にいきなり寄って。母君は車で待ってる、と言って、私は父君に付いて言ったら、「本当にいいのか?母さんの無神経には慣れてるから無理しなくていいよ」と言われて「私は慣れてない」と言ったら苦笑いされた。
でも、苦笑いした父君は、拗ねてた、って言われた時とは違う気がして、少し嬉しかった気がする。
あんまりこういう、弱さに負けたように泣くのは好きじゃないけれど、泣いてしまって悔しかったけれど、案外悪くなかったのかもしれない、と思った。
車に戻ったら母君とちゃんと話せるようになったから、尚の事。

車をフェリー乗り場付近の駐車場に止めて、フェリーに。

あっという間に対岸の向島について。
あっさり「檸檬の樹」についた。
父君が高校生から通っていたとあって、ご主人さんも奥さんも覚えて下さっていて。
何だか幸せだなあ、って思いつつ。

お店は思い出に浸ったり、別れを惜しんだりする人が入れ替わり立ち代わりきて、思い出話に花を咲かせたりしながら。

入口すぐそばにあるピアノや、多く飾ってある絵は流石に覚えてなかったけれど、店内の雰囲気は記憶の通りで。
一部ちゃんと覚えている光景もあって。
ご主人と奥さんの顔も、みたらちゃんと、ああ、ってなったことが嬉しかった。

午後四時まで注文出来るモーニング。こぽこぽ言ってる珈琲。
そういうものはやっぱり覚えてて、先日淡い記憶を頼りに、サークルに提出した小説に少し登場させた喫茶店はそうそう離れてなかったな、と妙なことを思いつつ。
雰囲気は、やっぱり文字に起こしきれないものがあって悔しいけれど、そこがやっぱり素敵。
居心地の良さは、そこに居ないと、って思うような、そんな温かさ。

ケーキはチーズケーキだけ。
あっさりでもしっとり。父君母君は珈琲。私はココア。
特別凝った味でもないのに、やっぱり美味しい。シンプルイズベスト。

思い出話に花を咲かせてみたり、たわいもない話をしてみたりして。
行く前のギスギスは消え去ったみたいに。

御主人や奥さんと話をしている父君は雰囲気子供みたいで、いつまでたっても変わらないものってあるんだなあ、とかこっそり思いつつ。

居心地の良さに、涙がちょっと滲んだり。
何だかわからないけれど、落ち着く。

もっと来ていたかったなあ、と本当思う。


店は閉まってしまうけれど、ご主人や奥さんとは何かのご縁があればいいのに、と願わずにはいられない。
店そのものが、ご主人や奥さんを体現しているような、そんな優しい喫茶店

「店は閉まっちゃうけど、ここが家ですから、ずっとここに居ますよ」と笑ったお言葉が印象的だった。

それに「前にも一時休んでた時があったわよね」と返す常連と思われる女性の言葉もまた感慨深かったけれど。


行く前は何かあっても、そんなことなかったみたいに帰る。
出る時には来てよかった、って思うけれど「ほら、来てよかったでしょ」と言う気にはなれない。
そんな小さな幸福感がちりばめられたような。


25年に思いをはせつつ。


泣くのもたまには悪くない。



野火でした。

まだ酔いながら明けぬるを

全然更新出来ぬまま夏休み折り返しました。明日から二週間ほど短期集中講座。

つい先日。8月21,22日に、中学校からの友人と大阪一泊二日の旅行に行ってまいりました。

中学時代の友人、というのはこのブログでも度々出てきたマイペースガールズ四人組。
中学校の修学旅行でもっと気ままに回りたい、とのんびり歩いては置いて行かれた四人組で、その時からマイペースガールズと命名
その結成時(?)に、もっと気ままに、いつか四人でのんびり旅行行こう、と言っていたものがようやく実現したのが今回の大阪旅行。
他の子が準備でバタバタとしてくれて、私はついていくだけ、っていう非常に申し訳ない事態だった。

まず大阪の駅の広さにうわああと圧倒される。あとビルの高さ。元々そういうの触れる機会がないから苦手だったのだけれど、尾道に来て悪化。
すぐに広島シックに。
でも何故か大阪なのに大阪駅のあちらこちらに「おしい!広島」のポスターとかのぼりがあって。広島はずっと「おしい」でいい。「おいしい」にならなくていい、とか思ったりしつつ。

ホテルに荷物を預けたら海遊館。念願のジンベエザメ!!
マイペースに回りすぎて時間がなくなり後半ろくに見ずにうわああって走ったり。そのあと通天閣まで行ったけれど外見を見たら満足、という。
そこに行くまでに通天閣前の商店街で食べたうどんが美味しかった。粋なおばちゃんの月見うどん230円。
関西は味薄くて美味しい、と聞いていたけれど本当に美味しかった。おダシがもう!「うるめ・こんぶ・かつお・さば・煮干し」からとっているとのこと。うわあ。
美味しかったけれど、麺は讃岐になれてしまったのでそこだけちょっと物足りないなあ、とかわがままなことを思いつつ。


大阪の暑さにやっぱり軽くダウンする子も出て、一時間ほどホテルで休む。
本当にベッド並んだだけの小さなツインの部屋だったけれど、楽しかった。マイペースガールズならなんでも楽しい。
じゃんけんで決めた部屋割りは一番一緒に行動のすることのない子と同じ部屋に。
修学旅行の時には私だけ班が違って、3人とは別室だったので新鮮だったのだけれど、同じ部屋になってみて、いつもちゃきちゃきしているその子が、部屋の中では私同様ぐうたらなことが判明。
ほっこりしちゃって寝たい寝たい、寝てる時が一番幸せ、枕に頭乗せたら終わりだみたいな会話しかしない。
隣の部屋の残り二人は動くのが好きな子たちだったので、部屋割りを間違ったんだか成功したんだか、と苦笑い。
寝る時以外は結局4人一緒の部屋にいるんだけれど。

休んだ後は大阪梅田を軽く回る。
大阪駅付近の百貨店で、小さいアクセサリーコーナーがあって。
普段ピアスばっかりでイヤリングって数がないしデザインもあまりないのにイヤリングも可愛いのをずらっと並べてあって同室の子とかじりついたり。
こんなん他でどこにあるんかわらかんけえ買いたい!とか言いながら。
そして買ったのが写真のアリス。シルバーじゃないのを初めて買った。

前日誕生日なメンバーが居たので、そのままケーキを買って帰り部屋でもぐもぐするも、ザッハトルテのはずが食感はチョコブラウニーだわ、想像以上にブランデーの味がきついわでまた一騒動あったのもまた思い出。
私の部屋は2分とたたずぐっすり。でも一時間交代ぐらいに目が覚めつつ。
隣は2時までうきうき話してて寝不足、という結果に。

二日目は初のUSJ!
開園時間前についたのにすでに開園していて人がすごい。
ダッシュで向かったスパイダーマンも100分待ち。
ディズニーランドみたいにアトラクション多くないのでどこいっても混雑。
結果私が乗ったのはスパイダーマンバック・トゥ・ザ・フューチャーのアトラクションのみ。
同室の子ともう片方の部屋の一人がその後ジェラシックパークのジェットコースターに100分で並び、乗ったけれど、その間に私はジェットコースター苦手な子と買い物にぶらりぶらり。並ぶのに限界でサンダルに疲れて足が痛かったので真っ先にスパイダーマンのビーチサンダルを買って履く、って事態になった。
それでもアトラクション楽しかった。
スパイダーマンはキャーキャー言って乗り物苦手な隣の子と両手を握りながら。
バック・トゥ・ザ・フューチャーはケラケラ笑いながら両手を両隣の子と繋ぎながら。
どっちもすっごい楽しかった。もう一回乗りたい、ってすぐなる。
スパイダーマンが3Dで度々襲われるのだけれど、その時にみんな自分の方に来る、って思うから、咄嗟によける方向が違って、隣の子と頭ガツンとぶつけたりしたのも良い思い出。

そんなUSJの余韻に浸りつつも疲れていたのもあって時間に余裕を持って帰った帰り。
帰りの新幹線の中が一番楽しかったと言っても過言ではないぐらいに楽しかった。
疲れていたけれど、新幹線乗ったらあとは慣れ親しんだ広島だから、っていう安心もあってかテンションがみんなおかしかった。
ひとりがムービーを撮ってくれてそのムービーを見返し終えたら丁度広島、っていう。
私もテンションMAXだったのだけれど、そのムービーを見て、今まで自分が無表情とか言われたり慣れないと表情が読めない、といわれた所以が分かった。
他の人と比べて表情の動きが少ない、というか、喋りといい表情といいそんなにハイテンションに見えなかった。
そうか、こんななのか、としみじみ。

広島に降りたときのほっとした、っていう感覚がすごかった。小さくて閑散とした駅にほっとするんですよ。
疲れたけれど、そうやってハイテンションで終わったので余韻がすごかった。

正直旅行ってずっと一緒に居るから仲こじれることも多いよ、ってのも聞いていたのでそうなるのかなあ、と不安半分で行ったのだけれど、全然そんなことなく。
多分皆それぞれにちょこちょことイラッとした場面はあるんだけど、もうそういう人だから、っていうのを知っているからそこで飲み込む、っていう選択をしている気がする。
そして4人だから、そういうイラッもちょっとずつそれぞれに消化してるんだろうなあ、っていう印象。
でも、全部大好き、ってならなくても、それぐらいが居心地いい気がする。
それぐらいでいい。それぐらいがいい。


旅行終えて、短期集中講義で帰ったら、家族含め、居心地がいい、気心しれた仲の人と離れた寂しさが無性に募る。
大学そのものは楽しいのだけれど。
せっかくだから、今まで大学ではアクセサリーつけなかったけれど。
買ったイヤリングでもつけて、糧にして、また二週間頑張ろうかな、と思いつつ。
幸せは後ろを向くためじゃなくて、今を前向きに生きるためにある、とある漫画で読んだので。

そう上手くいくことばかりじゃないけれど、せっかくならそう考えた方が楽しいので。

この夏の幸福を糧に。


野火でした。

繋がり

カテゴリーを二つ使うのって初めてのような気が。

父君と二人で「星の旅人たち」を観に行ったのが去年の8月11日。
約1年後の、今年8月11日。
父君と二人で「風立ちぬ」を観に言った。

父君は母君と弟君と三人で一度観に行っていたらしいのですが、ちょっとややこしいのでもう一度観たい、とのこと。
ちょっと古典知識があった方がわかりやすい、とのことで悔しかったのだそうです。

10日。読書感想文で「誰がために鐘は鳴る」を読んでいたのですが、如何せん、夏休みの課題なのに締め切りが8月12日で、読み切るのにも、それで感想文を書くのにも一抹の不安があって、父君に相談したところ、向田邦子さんの「あ・うん」を借りました。

新装版 あ・うん (文春文庫)

新装版 あ・うん (文春文庫)

夕飯あとの時間だったし、「誰がために鐘は鳴る」も読み進めていたので、最初読んでダメだと思ったらさっさと「誰がために鐘は鳴る」に戻れ、と言われたのですが、冒頭の雰囲気が好きで読み進め、どんどん引き込まれ、その日の深夜に読みきって大号泣しました。


そして11日に観に行った「風立ちぬ」。

良い、という家族の意見は最もで。(世間では賛否両論真っ二つでしたが)
本当に好きな映画となりました。
風立ちぬ」は読んでいないのですが、サナトリウム文学について調べていた時期の知識やトーマス・マンの「トニオ・クレエゲル」に心を打たれて読まないながらも簡単な知識としてトーマス・マンの「魔の山」を調べていた時期が生きた、という部分も中々大きかった。
古典知識としてはっきりあるわけではないけれど、ちょっとでも頭の片隅に破片があって、それとリンクしたときの感覚っていうのは、大学の授業と似ている。

そして大号泣しながら観ていたのだけれど、それは「あ・うん」のせいで本来映画で泣くシーンではないようなとこでまで泣いてしまったというのがあって。

前日、というより日付変更線をまたいで「あ・うん」を読んで泣いたためにその余韻がまだ残っていて。

「あ・うん」と映画「風立ちぬ」の時代背景がちょうど同じ時期で。
風立ちぬ」に出るあの時代の特別な用語を聞いて「あ・うん」の1シーンを思い出して泣き、「風立ちぬ」の主人公の何気ない台詞に「あ・うん」のラストシーンを彷彿として泣き。
風立ちぬ」のしんみりするシーンで泣き、「風立ちぬ」で感極まって泣き。
そして「風立ちぬ」の泣いてしまうようなシーンにさらに「あ・うん」がリンクして泣いたり、という感じ。


話の主軸は全くことなれど、時代背景と、そこに真摯に生きてる登場人物の感じが、「風立ちぬ」も「あ・うん」も近いものがある気がして。

「あ・うん」は淡々と進む中で、泣く要素も見つからず、終わりもわからず、って感じだったのに最後の数ページであっさり、はらはらと泣かされて。

その余韻が忘れられなくて、2日後に本屋に買いに走りました。
父君が持っていても、やっぱり自分で一冊持ちたいと思うような、そんな本で。

風立ちぬ」はひたむきな主人公達に思うところは大きくて、王道、とは違うけれど、しょっちゅう涙ぐみながら。わかっていたけど、泣かされた、と言う感じで、でもそれがすごく気持ちが良くて。

やっぱりDVD出たら買いたいなあ、と。


小さな些細なことがリンクする感じがたまらない。

風立ちぬ」は「あ・うん」と、トーマス・マンと、サナトリウムとがリンクして。
「あ・うん」には映研で観たM・ナイト・シャラマン監督の「ヴィレッジ」の1シーンを彷彿とし、確かに繋がったような瞬間があって。
そういうのが、何だかたまらなくいいなあ、って。


そういうことが増えることを楽しみつつ。



野火でした。


何年もまえの、ユーミンの「ひこうき雲」という曲。
この映画のためにあるんじゃないか、というようなマッチ具合も素敵な繋がりの一つやも。

in summer

前回が6月24日・・・。全然更新してない、うわあ。

大学生活前期終了。只今夏休み期間。
前期の授業は終わってしまうのが勿体ないぐらい楽しかったので、そのへんのことも記録したかったのに出来ずにあっという間に前半終わってしまった。
夏休みの間に少しでも整理して残せたらいいなあ、とか思いつつ。

大学生活楽しいよ、とは先輩方からよく聞いていたのですが、本当に楽しかった。
課題に追われてあれ、私気付けば1週間学食のうどんしか食べてない、となって6日目にビタミン不足で目がかすんできて、課題終わって野菜を阿呆のように買い込んでモリモリ食べた事件とか、何でか今日は行ける気がする!と買出しに3キロの山道を下って、帰りに熱中症で倒れた事件もあったり。
映画をバリバリ観たりとか。映研、地上波、DVDとうわーって観て気付けば大学入ってから35本、とかいうことにもなったりしました。

楽しいことばっかりと言えば嘘で、落ち込んだこともあったけれど、やっぱり楽しかった。高校も中学も小学校も、全部楽しくて、大学が一番楽しい、だなんて比較はしないけど。
今まで学べなかったことが学べること、とかそういうことが楽しかったりします。

大学入ってつくづく思ったのは、私は勉強はあんまり好きじゃないけれど、「知らなかったことを知る」っていうことは好きなんだなあ、っていうこと。
他の大学の先生もな気がするけれど、大学の先生ってやっぱり専門分野に対してオタクな感じがあって、知りえないことも知っているし、今まで気にしたことないようなことを一つ一つ研究してらっしゃるようなとこがあって。興味無かったことでもそういう人の話を聞く、っていうのが凄く楽しくて、好きなんだなあ、と。

高校の時からそういう傾向はあったけれど、いわゆる余談とか、話が脱線した、とかいう一見繋がりの無いものが繋がる時の感じがたまらなく好きで、大学はそういうのに溢れている気がする。

思い出がありすぎるので、更新率低い中でも前期のことをちょこちょこと記録出来たらなあ、と思いつつ。


野火でした。