檸檬の樹

広島県(今は)尾道市向島町
尾道向島間のフェリーを降りて小道を曲がればすぐそこ。
そんな場所に25年間ある、小さな喫茶店檸檬の樹」。
この八月いっぱい、つまり明日には閉店、ということで。
父君と母君と行ってきました。


父君が向島出身。高校生の時から通っていたとのこと。
私は二度ほど連れて来てもらった。小学校低学年だか、中学年だかぐらいで、記憶が曖昧なぐらい。
それでも覚えてて、「檸檬の樹」って難しいけれど素敵な響きと、落ち着く独特な調和された空間を持つその店内と、顔はうろ覚えでも、素敵だったことだけは覚えている、ご主人とその奥さん。窓際に飾られた置物と、それに陽の落ちる様子。
忘れたことはなくて、尾道に来た時から、行ってみたいな、と思いつつ踏み出せずにいた。
だから、閉店と聞いて悲しくて、どうしても行きたかった。

だけど、一番そうだったのは、きっと父君。

尾道の寮まで私を迎えに来てもらって、向かう。
雨で、閉店をしのぶ人も多くて、駐車場が空いていなかった。
どうするか、と言った時に「お前たち(母君と私)だけ先に下りて行っとくか?」と父君が店の前で言ったら、母君が「私は思い入れないもの。」と言った。
わかっている。母君からしたら、私が行ったところで、行きたいのは父君なんだから仕方ないでしょう、って言いたかったということ。
だけれど、言葉っていうのは、受け手が居るもので。
傍で聞いた私ですら、ぐさりときたから、父君は多分もっと深かった。

「じゃあ、いい」ってハンドルを切っちゃって。
何拗ねてるのよ、とか行けばいいじゃない、ってひっきりなしに母君が言うんだけど、それでも尾道に戻る道に乗っちゃって。
私も、ぐさりときたから止めれなくて。
何で拗ねてるのかわからない、って顔した母君に、あの言い方は傷つく、って携帯の画面で伝えてみたけれど、何となく伝わり切らなくて。
こういうことは別に初めてじゃなくて、重い空気になった時には仕方ないと思って口を挟まずに今までやってきたのだけれど。

でも、のった国道がただ尾道に戻るだけじゃなくて、私の寮に出る道だったから。
嫌だな、って思って。このまま行かないで終わってしまうのが、すごく嫌だな、って思って。
記憶は曖昧でも、私の中にはちゃんと思い入れがあって、行きたくて、そんな場所で。最後なのに行かないのは嫌だな、って。
そして私と同じように、あの時・・・と後悔しては馬鹿!って自分に声を上げたりするタイプの父君が、行かなくて後でまた後悔するのも嫌で。

初めて、口を挟んだ。おそるおそる、「行かないの?」」って聞いた。
「もういいよ」って返す父君に「尾道の駐車場に車を止めて、フェリーに乗って行かない?」と食い下がった。
「行きたくない人も居るならいい。」って言う父君の言葉に返した母君の言葉に、またぐさりぐさりと来たりして。
「行きたくないって言ってないじゃない。思い入れがないってだけで」「特別行きたいのは私じゃなくてあなたでしょう」「せっかく付き合ってあげたんだから行こうよ」

わかってる。母君がこういう性格で、悪気はないということも、周りの人がみんな同じ目線で物事を見たり考えたりするわけじゃないっていうこと。
それでも、傷つくものは傷ついて。父君と「だから、」と言いかけてやめたり、思わず浮いた手をそのまま落としてみたりもした。

でもやっぱり嫌で。「私は行きたい」って訴えたら、寮を目前にして父君が車を止めて。
「今の時間から行ったら野火もしんどいし、無理しなくていいよ」ってこっちを向いて。

また「私は行きたい」って言ったら、そしたら、自分でもびっくりなことに涙腺が緩んでしまって。
「お前が泣くことじゃないだろう」って呆れたように言われたけれど。

自分でもよくはわからないけれど、多分ぐさりぐさりと刺さった言葉の感覚とか、緊張しながら食い下がったこととか、行きたいって思いだとかがそういうものが入り混じって、キャパオーバーになってしまったのだと思う。
過去にも覚えがあるけれど、キャパオーバーになった私は泣く。
そして普段あんまり泣かないから、びっくりされる。

今回もびっくりされたけど、それでもそのおかげか、父君はUターンしてくれて、もう一度、向かった。

途中で電気店にいきなり寄って。母君は車で待ってる、と言って、私は父君に付いて言ったら、「本当にいいのか?母さんの無神経には慣れてるから無理しなくていいよ」と言われて「私は慣れてない」と言ったら苦笑いされた。
でも、苦笑いした父君は、拗ねてた、って言われた時とは違う気がして、少し嬉しかった気がする。
あんまりこういう、弱さに負けたように泣くのは好きじゃないけれど、泣いてしまって悔しかったけれど、案外悪くなかったのかもしれない、と思った。
車に戻ったら母君とちゃんと話せるようになったから、尚の事。

車をフェリー乗り場付近の駐車場に止めて、フェリーに。

あっという間に対岸の向島について。
あっさり「檸檬の樹」についた。
父君が高校生から通っていたとあって、ご主人さんも奥さんも覚えて下さっていて。
何だか幸せだなあ、って思いつつ。

お店は思い出に浸ったり、別れを惜しんだりする人が入れ替わり立ち代わりきて、思い出話に花を咲かせたりしながら。

入口すぐそばにあるピアノや、多く飾ってある絵は流石に覚えてなかったけれど、店内の雰囲気は記憶の通りで。
一部ちゃんと覚えている光景もあって。
ご主人と奥さんの顔も、みたらちゃんと、ああ、ってなったことが嬉しかった。

午後四時まで注文出来るモーニング。こぽこぽ言ってる珈琲。
そういうものはやっぱり覚えてて、先日淡い記憶を頼りに、サークルに提出した小説に少し登場させた喫茶店はそうそう離れてなかったな、と妙なことを思いつつ。
雰囲気は、やっぱり文字に起こしきれないものがあって悔しいけれど、そこがやっぱり素敵。
居心地の良さは、そこに居ないと、って思うような、そんな温かさ。

ケーキはチーズケーキだけ。
あっさりでもしっとり。父君母君は珈琲。私はココア。
特別凝った味でもないのに、やっぱり美味しい。シンプルイズベスト。

思い出話に花を咲かせてみたり、たわいもない話をしてみたりして。
行く前のギスギスは消え去ったみたいに。

御主人や奥さんと話をしている父君は雰囲気子供みたいで、いつまでたっても変わらないものってあるんだなあ、とかこっそり思いつつ。

居心地の良さに、涙がちょっと滲んだり。
何だかわからないけれど、落ち着く。

もっと来ていたかったなあ、と本当思う。


店は閉まってしまうけれど、ご主人や奥さんとは何かのご縁があればいいのに、と願わずにはいられない。
店そのものが、ご主人や奥さんを体現しているような、そんな優しい喫茶店

「店は閉まっちゃうけど、ここが家ですから、ずっとここに居ますよ」と笑ったお言葉が印象的だった。

それに「前にも一時休んでた時があったわよね」と返す常連と思われる女性の言葉もまた感慨深かったけれど。


行く前は何かあっても、そんなことなかったみたいに帰る。
出る時には来てよかった、って思うけれど「ほら、来てよかったでしょ」と言う気にはなれない。
そんな小さな幸福感がちりばめられたような。


25年に思いをはせつつ。


泣くのもたまには悪くない。



野火でした。