あけまして

前更新したの4月ですってよ、恐ろしい、という一人語り。

更新したいなあ、と思いつつ課題に忙殺されて更新出来ず。せっかくの御縁を水泡に帰している自覚はあって、それがとても悲しいのだけれど、でも更新出来ないのだよなあ、ととても悲しい。

もう見る人も居ないかもしれないけれど、元々見て下さる人が居ると思って始めたものでもないしで、それなのに最初からこういう語り口調で何故か始めてしまったものなので、一人で自分のために書いていると思ってもこれは抜けない。
ここに書くと思うと自分の中でぱちっとスイッチが切り替わる。


報告の形で書いておくと、生きております。無事新年を迎えました。
文芸創作やりたいな、って入った大学は、二年も折り返し地点を突破して、どういう専門分野を卒論にしますか?っていう進路を決める段階になりました。
大学は課題に忙殺されているけれど、その忙しさは、全て楽しいからだと思っています。楽しいから余計に色々余計なことまで調べて首を絞めていると思います。
そして、色々やりたい中で、悩んだけれど、ちゃんと自分の中で結論を出して、大学に入ったきっかけ、文芸創作にしました。
文芸創作の授業で、自分は出来ないな、って心が砕け散る思いもあるのだけれど、それでもやっぱりやりたいな、って思ったのと、何だかむずむずと出来ないけど、出来るといいな、って自分の中に秘めているものがあるのと。そして「研究」ってものが私にはあまり向いていない、と感じたため。
“知る”ことは大好き。だから大学が好き。だけれど、自分で疑問を持って突き詰めて探していって、何かしらの結論をつけるのは苦手だな、って。理由としては消極的だけれど、後悔はしません。

教職の授業も取っているけれど、就活時期の変更があり、教職の免許をとって就活、という両立が難しくなりました。
その中で、どっちか切り捨てなければならないのかもしれないなあ、と思いながら免許だけは、と今のところかじりついています。
教職は元々向いてないな、って思いながら、でも大学に行ったのだから、一つの頑張った証を、世間一般にも目に見える形にしたいと思って授業を受けていて。
だけれど、授業受けながら、段々、揺れ動くようになりました。自分は教職向いていないな、って思うのだけれど、「教師になりたい!」と授業を受ける人の中に、「何となく嫌」「何となく学校に行きたくない」っていう感覚を知らない人がほとんどだということに気付いて。
私は、何となく嫌だとうだうだしているのを、いいんだよ、休みながらでも、って見守ってくれる先生のおかげでどうにかこうにかサボったりしながらも高校を楽しく終われた気がするから、もし、もしも、私みたいに「頑張らなくっていいんだよ」って言って貰うことで、救われるような生徒が、少人数でもいるのなら、一人ぐらいそんなのが居たっていいじゃないか、という考えが頭をよぎるようになって。
最初は免許だけ、とかじりついていたものが、両立出来そうにないからやめる!ってあっさり投げ出せないものになってきて、今はどちらか捨てろと言われたらとても答えられなくなってきました。
単位落とさないかぎりは、もう少しあがいていたいなあ。



去年は、縁の年だったように思います。

課題が大変になってきて、高校の同級生と続けていた大切な文通を泣く泣くやめました。
あまりに書きたいこと多すぎて、便箋の量が二桁行くような、そんな楽しいやりとりは、楽しいかわりに時間もかかって、便箋の上にペンを長々と走らせる余裕がなくなりました。
それでも年賀状は出します。


はてなもこうやって全く顔を出せなくなって、時折戻って読み返すのだけれど、じっくり打つ余裕がない。


そんな風に、大切な御縁をみすみす手放す一方で、ちゃんと続いているんだなあ、っていう縁もありました。


高校文芸部で集まりました。
卒業式に行けば集まる。文化祭に行けば打ち合わせもしてないのに揃う。体育祭もそう。
そして、ついにOBで集まりたいね、と一個下の子と私の代とで遊ぶことが叶いました。
遊ぶと言っても、そこそこにぎやかにごはん食べたら、あっさり解散。
あっさり解散出来るのは、またいつでも集まれるし、っていう余裕というか安心みたいなものが皆の中に当たり前に横たわっているからだと思う。

そうして、今の大学の合格の報告に、2年前の春に電話したきりの、小学校の恩師に電話しました。
八月の豪雨災害。ちょうど私も実家に帰っていて、通っていた高校のあたりで、知り合いも多い地域、他人事ではありませんでした。
その中で、恩師の住所が、被害のあった地区に該当することを思い出して、翌日電話した。
突然電話したのに「ありがとう」と返して下さる恩師の声にほっとして、不謹慎だけれど、久々に声が聞けて嬉しいと思った。
家の裏手に土砂が流れて来て大変だったけど、無事なの、という声にそうですか……としか返せなかったけれど。
大学に入って、尾道に遊びに行くわ!と言いながら、お父様を亡くされて、お母様の介護で忙しく行けていないね、ごめんね、と先生。
でも、忙しいでしょう?と言う声に、そうなんですよね、としか返せない。
しばらくはお互い忙しいわね。大学居る間は難しいかもね、という話をしたけれど、その会話が嬉しいのは、一生会えないとかどっちもきっと思ってなくて、またゆっくり会える時が来ればいいな、と思っていること。


私は薄情で、優先順位をつけろと言われたら、大切な御縁を後回しにしてでもやりたいことを取りに行く人間です。
決して大切じゃないわけじゃないし、出来るならば大切にしたいけれど、何よりも優先することが出来ない。

そんな薄情な人間だけれど、それでもこうやって繋がる縁があるなら、せめてこちらが大切だな、好きだな、って思っている、っていう最低限のところは残したいな、と思う。


きっと私は更に更新しなくなるのだろうけれど、ここで得た御縁は大切なので、時々、こっそりのぞきに行かせてもらって、ほっとするぐらい。
しれっとここに来て、好き勝手な願望を述べるくらい。


そんなわがままを、どうか。



野火でした。