繋がり

カテゴリーを二つ使うのって初めてのような気が。

父君と二人で「星の旅人たち」を観に行ったのが去年の8月11日。
約1年後の、今年8月11日。
父君と二人で「風立ちぬ」を観に言った。

父君は母君と弟君と三人で一度観に行っていたらしいのですが、ちょっとややこしいのでもう一度観たい、とのこと。
ちょっと古典知識があった方がわかりやすい、とのことで悔しかったのだそうです。

10日。読書感想文で「誰がために鐘は鳴る」を読んでいたのですが、如何せん、夏休みの課題なのに締め切りが8月12日で、読み切るのにも、それで感想文を書くのにも一抹の不安があって、父君に相談したところ、向田邦子さんの「あ・うん」を借りました。

新装版 あ・うん (文春文庫)

新装版 あ・うん (文春文庫)

夕飯あとの時間だったし、「誰がために鐘は鳴る」も読み進めていたので、最初読んでダメだと思ったらさっさと「誰がために鐘は鳴る」に戻れ、と言われたのですが、冒頭の雰囲気が好きで読み進め、どんどん引き込まれ、その日の深夜に読みきって大号泣しました。


そして11日に観に行った「風立ちぬ」。

良い、という家族の意見は最もで。(世間では賛否両論真っ二つでしたが)
本当に好きな映画となりました。
風立ちぬ」は読んでいないのですが、サナトリウム文学について調べていた時期の知識やトーマス・マンの「トニオ・クレエゲル」に心を打たれて読まないながらも簡単な知識としてトーマス・マンの「魔の山」を調べていた時期が生きた、という部分も中々大きかった。
古典知識としてはっきりあるわけではないけれど、ちょっとでも頭の片隅に破片があって、それとリンクしたときの感覚っていうのは、大学の授業と似ている。

そして大号泣しながら観ていたのだけれど、それは「あ・うん」のせいで本来映画で泣くシーンではないようなとこでまで泣いてしまったというのがあって。

前日、というより日付変更線をまたいで「あ・うん」を読んで泣いたためにその余韻がまだ残っていて。

「あ・うん」と映画「風立ちぬ」の時代背景がちょうど同じ時期で。
風立ちぬ」に出るあの時代の特別な用語を聞いて「あ・うん」の1シーンを思い出して泣き、「風立ちぬ」の主人公の何気ない台詞に「あ・うん」のラストシーンを彷彿として泣き。
風立ちぬ」のしんみりするシーンで泣き、「風立ちぬ」で感極まって泣き。
そして「風立ちぬ」の泣いてしまうようなシーンにさらに「あ・うん」がリンクして泣いたり、という感じ。


話の主軸は全くことなれど、時代背景と、そこに真摯に生きてる登場人物の感じが、「風立ちぬ」も「あ・うん」も近いものがある気がして。

「あ・うん」は淡々と進む中で、泣く要素も見つからず、終わりもわからず、って感じだったのに最後の数ページであっさり、はらはらと泣かされて。

その余韻が忘れられなくて、2日後に本屋に買いに走りました。
父君が持っていても、やっぱり自分で一冊持ちたいと思うような、そんな本で。

風立ちぬ」はひたむきな主人公達に思うところは大きくて、王道、とは違うけれど、しょっちゅう涙ぐみながら。わかっていたけど、泣かされた、と言う感じで、でもそれがすごく気持ちが良くて。

やっぱりDVD出たら買いたいなあ、と。


小さな些細なことがリンクする感じがたまらない。

風立ちぬ」は「あ・うん」と、トーマス・マンと、サナトリウムとがリンクして。
「あ・うん」には映研で観たM・ナイト・シャラマン監督の「ヴィレッジ」の1シーンを彷彿とし、確かに繋がったような瞬間があって。
そういうのが、何だかたまらなくいいなあ、って。


そういうことが増えることを楽しみつつ。



野火でした。


何年もまえの、ユーミンの「ひこうき雲」という曲。
この映画のためにあるんじゃないか、というようなマッチ具合も素敵な繋がりの一つやも。