神様のカルテ3

ちょうど去年の受験の期間に、受験終わったら読むぞー、と買っていた本の中の一冊。
神様のカルテ3」読了。

神様のカルテ 3

神様のカルテ 3


実は受験が終わって真っ先に手に取ったのもこの本だったのだけれど、早々に課題で本を数冊突きつけられてなんだかそっちに持っていかれてしまい、その後中々本を読まないのと同時に別の本にいってしまったりもしてずっとほったらかしだったもの。

「迷子石」を読んだらなんとなく読みたくなって、ようやく。一日本を読んで引きこもる体験とか久しぶりで。


神様のカルテ」っていう作品は、続編が出ても相変わらず続編、っていう感じがしないなあ、とつくづく。
ちゃんと地続きっていうのは勿論のことなのだけれど、根底にある基本スタンスが良い意味でずっと崩れなくて、2巻が出ても、3巻が出ても、全部で一つの作品、って思えるから不思議。

単調、って言ってしまえば、そうなのかもしれないけれど。
私にとっては変わらない、っていうのも十分な魅力。

主人公栗原一止さんの奔走は、登場人物の進藤辰也ではないけれど、やっぱり胸を打つものがあるというか、何かしらガツンとくるものがあるなあ、と。


この時期に読んで、良かったなあ、と本当に思う。

大学でそろそろ学ぶジャンルを選ばないと、っていう選択の年になってきて。
色々楽しいだけになんだかなあ、って思うけれど。
ひとまず色んなことに、手を伸ばせるうちは伸ばしてみるのもよいのかな、と。
そのつど目の前にあるものに、真摯な態度で向き合っていきたい。


そうしてもう一つ。
患者さんと向き合う栗原一止さんのお話でもあるけれど、それと同時に地域医療の話でもあって。

以前読んだ時には思わなかったのだけれど、これ結構詳しく書いてあるよなあ、と奥付の作者紹介を見たところ。
この作者さんが、医学部を出て、実際に地域医療に携わっていた方だと、今更ながら知った。

この作品が本当に好きで、好きだからこそ。

作品を書くことに、どこの学部出身だとか、何歳だからとか、関係ないんだ、っていうことを、改めて痛感させられた。

作家になれるかなんて聞くな。書きたくて仕方なければ既に君は作家だ。

というのは、映画『天使にラブソングを2』で引用されていて知った言葉なのだけれど。

ああ、本当だな、って。

そして今の自分の甘さをなおのこと噛みしめてしまう。

創作がやりたくて大学に入ったけれど、他のジャンルも楽しくて、迷っている。
でも、本当にやりたければ、関係ないんだ、って。

高校の時は、それこそ本当に、書きたくて書きたくて、っていう人の集まる部活だったから、それに触発されていた部分が大きかった。

大学では文芸部、というものに入らなかったために、その触発される部分がとても薄れていて。
途端に書けなくなる自分に、甘いなあ、と思っていたけれど、やっぱり甘かった。




神様のカルテ」は1巻が出たのが高校受験の時期。
その時も本は少し遠ざけつつあったのだけれど、やっぱり一気読みしてしまったんだ。


そういう変わらない、ものがあって、その中にもやっぱり少し変わるものがあって。
そのつど今の自分を見つめなおして、目の前にあるものに向き直せるような。

そんな自分でありたい。



野火でした。