居場所

更新したいことは多いのに出来ず毎回久々、となる。
授業も楽しいのでもっとコンスタンスに記録したいのに。

課題が山積みのところ、絶対に行きたかった高校の文化祭に行ってきた。

入場開始から、あわよくば、来校者の退場時間を過ぎて放課後まで残っていたい、と宣言したら父君にも母君にも呆れられたのだけれど、結果的に本当にそうなった。楽しかった。

高校時代は部活の掛け持ちと、委員会と、クラスと、ってやって全然回れなかったから、文化祭こうなってたんだー・・・と新鮮な気分で。
高校時代の分まで回りまくろう、と思っていたのだけれど。

最初文芸部に行って部誌を貰って、後輩と話して、後輩の倉クラスのカキ氷を食べに行って、懐かしい先生と話して、また文芸部行って、後輩がボーカルするという有志バンド観に行って、図書委員会の古本市を回って、そしてまた部室に戻って・・・懐かしい同級生にも会ったりしつつ。
退任されて寂しかった、お世話になった大好きな保健室の先生が来られているところにちょうど遭遇したのもすごく嬉しかった。


そして11時に茶道部行ったらお客さんがすっごい居て、修羅場で、水屋(裏方)に入って、そのままずーっと茶道部の裏方してた(笑)

勿論途中でお茶もいただいて、お席にも入らせてもらったのだけれど、基本は裏方でお菓子準備したりお茶準備したりとかバタバタと。一度後輩の浴衣の着付けの帯結びをやったり。

最終的には、後片付けもやって、本当に解散してからの後片付けまでずーっと居て、それが終わって、文芸部が部室でぐたーってしているところに顔を出して顧問の先生とも喋って帰った。

同じ同級生の茶道部のメンバーともほとんど話せず、顔合わせるぐらいに終わってしまって。
ずっと忙しかったのだけれど。

本当に、楽しかった。

勿論それは、大学に上田宗箇流がなくて、上田じゃないなら、って千家のお誘いをけってしまったから、茶道に触れてなくて、そうやってまた上田に触れられた喜びも大きいのだけれど。
お茶をたてることも、帯の結び方も、あんまりに久しぶりで、出来ないかと思ったらちゃんと覚えてる、身体が覚えてる、って、そうやって何かが残っている、っていうのも、そういう喜びも、あったのだけれど。それよりも。

居場所のあることが嬉しかったのだと思う。
大学のサークルはあまり盛んなところに入らなかったのもあるのだろうし、高校みたいに何か一丸になってやることがないのもあるのだろうけれど。
皆の輪の中に入って、決まった一つのことに向かってせっせと動く感じ。
あれが、たまらなく好きで。
引退して、ましてや卒業してしまって、半年ぐらいずっと顔を出せなかった私なんかが、行っても、ってならずに。

バタバタしてるところに入って、必要とされて、以前と何も変わらずに、輪の中に入れたのが、たまらなく嬉しくて、そして楽しかったのだと思う。

それは文芸部で先輩、って言ってくれることも一緒で。

変わらずに受け入れてくれる場所があることが、どんなに素敵なことか。

必要とされる、っていうのが「あなたがいなくちゃ!」とか、そういうものであってほしいんじゃなくて。
「猫の手でもいいから借りたいところだったの、ありがとう」って、そういうもので十分すぎるぐらいに、私は幸せになれるんだな、って。

記憶の片隅にでも、残ってて、わーって騒げること。
新しい顔の知らない一年生やなんかとも、話せること。

文芸部では、一年生に紹介してくれて、人見知りの私なりに話せて、茶道部は忙しさの中で、誰かもわからない私に、「先輩、これってどうすればいいんですか?」とかそういう質問が飛んできたりして、私も全然知らないのに、知っていた後輩みたいに話してた。

そういう居場所が確かにあるっていうのが、本当に素敵で、ありがたくて、泣きたくなるぐらい嬉しかったんだ、って思う。

高校はそういう場所が、文芸部と、茶道部と、当たり前にあって。中学もやっぱりクラスが楽しかったり、吹奏楽が楽しかったり、そういうのがあって。

気付かなかったけれど、大学に入って、そういうのが消えて、どこか居場所を探していたのかもしれないなあ、って。

大学は人生の春、って思ったし、実際楽しいのだけれど、最初が順調に見えて、小さなつまづきが色々あって。
船出は良かったけれど、寄る辺のない感じになっていたのかもしれないなあ、って。

当たり前に受け入れてくれる場所の中で、歯車の一つとして動ける、それが、とても幸せなことだったんだ、って、今更かみしめる。

大学は高校に比べて、だなんて言わない。

でも、その幸せを、ずっと大切にしたいな、って思って。


来年も行きたい。行けるかぎり、ずっと行きたい。知らない後輩や、知らない先生になってからは難しいかもしれないけれど、来年は、まだ。


雁鳴きて菊の花咲く秋はあれど春の海べにすみよしの浜

雁が無き菊の花が咲き誇る優雅な秋はあれども自分だけの春のうみべに“住み吉”たる浜が欲しい

天地明察の一節。主人公が、渋川春海、と名乗る由来の話。

秋を春と思い、春の海辺にあった住吉を、見逃していたのかもしれないと。



野火でした。