想像

本当に課題やら趣味やらが忙しくて全然更新出来ません・・・。
というか次々に課題が出るし、現在進行形で7月締切のものも2つぐらいあって、きっと更に増えるので、夏休みまでちゃんと更新出来ないような気がしてなりません。

そんな中で、どうしても、はてなに書きたい、とか、はてなにしか吐き出せない、っていう思いを残そうとすると、暗い話ばっかりになっているような・・・。

今回は暗い話に、愚痴も混ざっているのが何ともやるせないけれど。すごく、悔しい、悲しい、寂しい、空しい想いの、吐き出し口が見当たらない。




創作同好会に所属していて。
普通に雑談している中に「溺れている人の感じが好き」「溺れている人のあの息とか水を吐き出す感じが好き」「そういうのを描くのが好き」「そういう暗いのを書くのが好き」という発言が出た。

今年は人見知りがあんまり出なくてちょっと気を許すのが早かったせいもある。いつもなら、そんなちょっとしかたってないような人には思っても口に出さない思いを、口にしてしまって。
口を挟んでしまった。

結果的に軽い雑談の空気を凍らせるような話の流れに持っていくということになってしまって、申し訳なかったなとは思ったし、そういう流れになっちゃった時にも、失敗した、と思ったけれど、それでも、どうしようもなく悲しかった。

「私は嫌。」「そういう考えを持てるのは、自分が恵まれているからだってことを、自覚しておかないといけないと思う。」


思わず言ってしまったその言葉が、伝わらないことに、言いようのない悲しみを覚えた。

「野火ちゃんは、そういう暗いとか恐いの苦手で、書きたくないのかもしれないけど、世の中そんな綺麗事ばっかりじゃないからね?現実と別にして夢物語で読みたいのかもしれないけど。」

私が、普段、確かにそういう暗い、読後感悪いものが嫌いっていうのもあるから、そう言われるのもわかるし、そういう面がないとは言わないけれど。

ショックだった。悲しかった。刺さった感じ。

綺麗事ばかりじゃないからこそ、なのに。綺麗事ばかりじゃないから、そういうのを、笑える人ばかりじゃないから。
綺麗事ばかりじゃないのに、自分はそういう綺麗な部分に居るっていうことを自覚せぬまま、その綺麗事、じゃないことを、特殊な綺麗さ、のことのように捉えて、そのことについて、何の考えも持っていないこと。
そのことが。

ショックで、頭真っ白なまま反論したから、何言ったかよくわからないけれど、言いたいことの断片が掴めた皆の顔が凍り付いていくのがわかって。
しまった、っていうのと。やっぱり考えたことないんだ、って、ショックが。

「でも、そうやって暗いものを芸術に昇華するっていうのもひとつの手だし。」

っていう言葉に。

「そうは言っても、それを芸術に昇華しても、例えばそうやって溺れる絵を綺麗な芸術といて描いたとして、それを自分の知り合いが溺れて亡くなった、っていう人が綺麗な絵、って観るか、ショックを受けないか、っていうと、それは違う。」

って言ったら。

「それは確かにあるけど、でもだから描き手にも、読み手にも、書く自由、選択する自由があるんでしょ?」

私の言いたいことを、一応理解してくれて、それでもっていう。
わかるんだけれど。自分を否定されるのは誰しもショックだ。

でも、その言い分も私にはショックで。

「自由」って、何でも「自由」なのかな、って。

そういう意見も、そういう芸術があるのも、完全に否定するわけではない。

けれど、「自由」っていう言葉に頼って、考えることを放棄することは、違う気がする。

そういうものもあるけれど、それは自分が恵まれている環境に居るからで、それを良いとしない人も居て、それなのにそれから目をそらして、その人が見なければいいんだよ、って、そうやって、受け手のことを考えることをやめるのは、違う気がする。

自覚を持たなければならないし、そういうことを考えた上で、自分の作品に対してそれなりの責任を負ってしかるべきだと、私には、そう思えて。

どうにか、そういう思いを伝えようとしたけれど、やっぱり、全部は伝わってないんだろうなあ、って。

うん、まあね、って。

暗い話にしてごめんね、って、言えず終いだった。
伝わらない、考えたことがない、って、そういうのにぶち当たって、あんまりにショックだったから。

相手に悪気はないけれど。そうなんだけど。
心のどこかで、偉そうに、とか、夢みたいなことを、甘えたことを、っていう感情が、あったんじゃないかな、って。
そう思うような、会話だった。
その人達が嫌いではないし、好きな方だからこそ、そういう話をしてしまったのだけれど、会話してて、つらかった。
そしてそれはきっと、お互い。


作り手が、作り手の中にとどめておくならばともかく。
そこに受け手が存在するならば。
受け手の存在を軽視してはいけない、ないがしろにしてはいけない。

言葉だって、受け手と語り手の思いが通わないことがあるのだから、それが何かを媒介にするのならば、尚更。

そう思うのに。


そう思うようになったのは、中学の、国語の先生がふいに発した言葉から。
自分が、痛切にそう思うようになったのは、高校で、人を失うことを身にしみて感じてから。


そういう経験が特殊なのかとも思わなくもないけれど。

やっぱり、何かを生み出す側の人には、そういう意識があってしかるべきだと思っていたし、今日もやっぱり、ショックの中で、思ったから。

‶創作″同好会の名を背負うならば尚更。その責任も、負いたいと、私は思うから。

創作。受け手を想像してこその、人間というものの、創造。


人との間があって、人間になる。


人間として、創造を出来るような。

そんな人になれるといいのに。



野火でした。