本の話 4月

ネット環境が整ったのに、家族行事だとか課題だとかでへとへとで結局更新出来ぬまま五月を迎えようとしております。早い。

授業のこととかも更新したいこといっぱいなのに・・・と毎回悔しい思いをしつつ、書くって宣言してた本の話は最低でも書こうっていうのと、その間に読んじゃった本についても更新。
週末に何年かぶりに家族旅行行ったけれど、そのこと、ちゃんと記事に残せる体力あるのかな・・・。


さてさて、天地明察の前に読んで更新せぬままだったのが、受験前にハマっていた伊坂幸太郎さんの「SOSの猿」

SOSの猿 (中公文庫)

SOSの猿 (中公文庫)

勧善懲悪は伊坂さんらしいし、楽しかったけれど、重力ピエロの読後感とか、視界がさあっと開けるようなオーデュボンの祈りの感じを求めて読むと、ううーん、という感じ。

解説の方にも古くからの伊坂幸太郎さんのファンには、SOSの猿や、近年の魔王、モダンタイムズは、あんまり人気が・・・という話があって、そうかもしれないなあ、と思った。
魔王とモダンタイムズ受験期に買った記憶があるけれど、盲信して早まったか・・・?と思わないこともない。

それでも、「猿」「孫悟空」「エクソシスト」+株の誤発注事件の取り合せは面白い。
今まで以上に何が起こってるのかわからないまま平行に進んでいたふたつの話が、ふいに交わった瞬間の快感はやっぱり伊坂さんだなあ、と思う。

「物語は、時々、人を救うんだから」

その台詞に、じーんと胸にくるものを感じつつ。



もう一つは昨夜読み終わりました、「エンジェルフライト」

ノンフィクションなので、インタビューをもとに比較的淡々と進んでいるのだけれど、最後の最後。

いかに自分の世界が狭くて、普段見聞きすることが物事の一握りにも満たなくて、そして自分が白状なのか思い知らされた。

シリアで亡くなった女性ジャーナリストの方の父親の報道陣に対するコメント。

「実家に帰ってきて昼過ぎまで寝ていて、『眠い、眠い』と言っていたときと同じような顔で帰ってきてくれた。」

このコメントは、記憶の片隅に残っていて、本に出たとき、ああ、あれ!と思った。

同時に、あのニュースの全容をわかっていなかったこと、去年のことだったのか、と思うぐらい、忘れていたこと、そして、その報道陣の言葉の前にあったものを一切知らなかった、ということ。

海外から帰る日本人の遺体、日本から自国へ送られる外国人の遺体。
日本の病院で、亡くなるのとは、違う、という。

なるべく腐らないように処置をして送り出し、帰ってきた人を、また処置する。
綺麗に、微笑みを浮かべるまでに。
「眠い、眠い」と言っていた時のようになるまでに。

メインの内容とか、そういうのも異なるのだけれど。」
高校で読んだ、さだまさしさんの「アントキノイノチ」を思い出した。
遺品整理の「アントキノイノチ」と、国際霊柩送還士の「エンジェルフライト」。

私の知らないどこかで、知られることなく、それでも確かに、誰かを助けている人が居る。
誰も気付かない、それでもなくてはならない、そして、誰かがやらねばならないはずのことを、ひっそりとやっている人が居る。

それは、今の私には、見知らぬ人が、見知らぬところ、で、見知らぬ人を助けていることになるのだけれど。

きっとそれも、私の預かり知らぬところで、私にもつながっていて、私も助けられているのだろう、と思う。


普段生きているうちには、きっと知りえないこと。

それを、誰かが本に起こしてくれて、それに巡り会えた幸せ。


読書の意義、とか言うと大袈裟だけれど、そんなものをひとつ掴んだ気がする。

読書が人を救う、というのは、まさしく自分が救われた、という感覚がないと、わからない。
私にとっては、それが「硝子戸の中」であったり「トニオ・クレエゲル」であったり、様々であったけれど。

確かに、今回もうひとつ。

物事を、ひとつひとつ目にして、耳にするには、人の一生は、きっとあまりにも短すぎて。
それを、補っているんだろうなあ、って。

少なくとも、今回のエンジェルフライトは、私にはそういう本だ。



あんまり普段読まないノンフィクション。


そういう経験があるならば。

また読んでみたいな。



そんな感じで、野火でした。


アントキノイノチ (幻冬舎文庫)

アントキノイノチ (幻冬舎文庫)