幸福論

昨日、茶道部の卒業茶会なるものがありました。
1,2年生と、先生方が、お茶会を開いて下さって、三年生をもてなす・・・という恐れ多いもの。
私達には1つ上の先輩が居なくて(茶道部では)、去年はなかったので。
開いてくれる1,2年は前のものを知らないのですが。

私も、その一昨年のが初めての卒業茶会だった、というのは昨日初めて知ったのですが。(その前から代々やってると信じていた)
高校の合格者の登校日があって。
その日の午前中は新入生勧誘のビラ配りに登校するから、そのお昼から、先輩のためにお茶会を開こう、ということになり。
お昼を挟むから、お茶席の前におにぎりでもつくってきて、食べよう、ってなった時に。
今の部長のお母様が、それだけじゃあ、っておかずをどっさりつくって下さったのが始まりで。
そんな、簡単なお茶会だったのですが。

昨日は、先生、1,2年生がすっごい丁寧に準備してくれたみたいで。
豆腐(卵豆腐っぽかった)の入った汁物に、煮付けに、白和えに、だしまき卵に、ちらし寿司・・・!!!っていう。

しかもしかも、そのあと2席も点前やってくれて。

その後簡単なセレモニーがあって。
先生から修了書をいただいて、お言葉をいただいて、後輩から言葉をもらって、プレゼントをもらって・・・。
こちらからは、先生に送りものと、後輩にはお手紙と、上手くまとめ切れなくて、言いたいことを言いきれなかった、そんなメッセージってことしか、返せませんでした。

そのあと、みんなで無礼講ってことでジュースをお菓子を広げまくって。

文芸部の時もだったけれど。

本当に、嬉しいのと、申し訳ないのと、寂しいのと、その他もろもろで、胸がいっぱいでした。


体育祭、来賓席の接待は文芸部と茶道部の担当で。
私が1年生だった時は、茶道部は新しい部員が居なくて。
本当なら引退だった三年生の先輩方おふたりが、その担当も、日々の部活もしてらして。
吹奏楽を辞めて文芸部に入ったばっかりの私が、来賓席に顔を出した時に、その時いらした茶道部の先輩方が、確か、二週間ぐらい先の部活の日付を教えて下さって、よかったら、見学に来ませんか、って誘われたのが、きっかけで。

その見学で、惚れて、入部届を貰いにいったら、その時いらした先生が家庭科の先生で、「嬉しいわ。どうせなら誰かを引っ張ってきてちょうだい」って入部届を2枚渡されて。
クラスで一緒で、私にしては珍しく、早く(でもいつの間にか)仲良くなっていた紅ちゃんにどうしよー、って相談したら、小さいころやってたからいいよ、って言われて。
ふたりになって。
そのあと、元々仲の良かったNが、吹奏楽から移動してきて。
3人になって。

忙しい中ずっと教えに来て下さった三年生の先輩方は半年もたてば卒業で。

あとは任せたよ、って。
これで、ひとまず、一年は廃部まぬがれたね、って。
後輩、入ってくれるかな。ちゃんと部、続けられるかな、って。

文化祭も、すぐ先なのに、経験ないどころか、みたこともなくて。
どうしよう、どうしようって。
本当に本当に前も左右もわからなくって。
自分のことでいっぱいで。

後輩が思ったより入ってくれたときは嬉しかったけれど。

余裕が本当になくって、私、本当にいい先輩じゃなかった。


後輩に書いた手紙にも、先生に3人で書いた色紙にも。
ごめんなさい、って。

それでも、茶道部を続けてくれた後輩には感謝感謝でいっぱいで。
だから、尚更、昨日の素敵なお茶会は、私には勿体ないぐらいだったと思う。

後輩に手紙を書いた。

書いた数は、20通。

つい、2年前まで。

2人で、5人で、3人だったのに。

廃部だと、言われていたのに。

こんなにも、温かい、居心地のいい部活だったんだ、って。

幸せだなあ、って。とにかく幸せ。

「幸せ」を難しく考えずに 語り過ぎずに
未来永劫変わらないモノと 期待し過ぎたりしないで
そのつど自然と降りてくる その感じをつかまえて
それで日々を繋いでいくんです

福山さんの、幸福論。

そのつど自然と降りてくるもの。

気付かないうちに、降り積もっていたんだなあ、って。


確か、生きてるだけで、奇跡は起こり続けているってことなのだと話したのはさださんで。

だとしたら、こんなにも幸せが降り積もっていた私は、どれほどの奇跡が起こり続けているのだろう、って思った。柄にも無く。

一夜明けても。

言葉がまとまらない。

でも、勿体ないほどに、とにかく嬉しくて、ありがたくて、幸せだった。


茶道部が、大好き。



文芸部も、茶道部も、大好き。


私の高校生活の真ん中は、いつだって、何年たったって、きっと、部活。


降ってくる幸福との、それこそ、お茶でいうところの一期一会の奇跡を噛み締めて。


野火でした。



もう更新の時系列は気にしないことにする。