奔走記 part1 文化祭前のドタバタ編

あと1週間で引退寂しいなあ、とこぼしたのに、またご無沙汰となりました。
雨天の中文化祭決行しまして、昨日で引退のはずが、色々あってそんな雰囲気にならず、更には茶道部、文芸部共にもう少し出る用事があるので、本格的に引退は先延ばしに。お陰様で昨日は一度も泣きませんでした。
で、そのぶん奔走と、何より会いたかった方との再会が印象強いので、文化祭までと、文化祭の奔走と、文化祭での会いたかった方への再会と、3段階に分けて記録しておこうかと。
自分が忘れる前に。


では文化祭前は。
一言で言うなれば・・・体調を崩しておりました・・・(-ー;)
月曜が合唱祭でですね。
5月半ばから続いていた蓄膿症と思われる症状を抱えて2日前にようやく病院に行ったらやはりで。
あらあら、と思いながら薬を貰って帰ると、おお・・・と思いつつ、その薬のお陰で徐々に回復。

しかしながら。

蓄膿っていうのは、治りかけが声出ないものと忘れてて。
当日出ねえー・・・。

諦めて、音程ずれそうなところはさっとひくことに決めて、出せるとこで頑張りました。

のど飴ガンガン舐めながらね。

でも、真面目にやり始めたのが遅かったクラスだから、最後もダメかなあ、と思ってたけれど、委員長と、指揮者、伴奏者の人望に恵まれ。

本番に歌った時、終わったあと、やった、っていうやりきった感じがあって。

会場の他のクラスの拍手に、それがわーっと重なって。
みんなすっごい、やった、出来た、っていう感動で席まで戻りました。

あれは忘れたくないなあ・・・。

すっごい嬉しかった。


結果発表はすっごいびくびくだったけれど。


見事、最優秀とれました。

もうね、指揮者の子が、入賞しないってことはないから、って言ってて。

銅賞、銀賞、金賞と呼ばれて。

最後最優秀賞だったから。

呼ばれるなー、呼ばれるなーってみんなで願ってて。

でも、今年は銅賞が2つって聞いて、ダメなんじゃないかな、ってすっごい恐くて。

私達出来た、とは思ったけど他の文系クラスの怒涛のゴスペラーズが凄かったんだもの。

ゴスペってるとうちの指揮者は言ったよ。

だって男女揃ってるから有利と言われる文系4クラス中、私のクラス以外皆ゴスペラーズだったからね。

青い鳥、星屑の街、言葉にすれば だったからね。

一昨年すっごいかっこいい「ひとり」の合唱があったから、そのへんのブームが。
憧れなのかなあ。

私のクラスはもう最優秀狙うなら、と合唱曲を。指揮者が 笑

最初は何これと思ったけど楽しかったよ、慣れたら。

ずっと他のクラスとの対戦もせず、他のゴスペラーズがすごかったから、どのぐらいの実力だったのか、他クラスも私のクラスも知らなくて。

嬉しかったなあ。

伴奏者の子が、ベスト・オブ・ピアニストに選ばれたのも嬉しかったです。

わーい。


と、思ったら。

帰りにダウンしてね。

その日はフラフラで帰って。


で、翌日は休んで。蓄膿がここに来て出たのかな、冷房あったし、と思い。

んでその次学校行ったら茶道部部長が咳コンコンしてて。

やばい、私まだ蓄膿症治りかけなのに、とマスクして、というか本当に病院に行って、と懇願するもえー・・・と。

帰り別れ際には明日にでも行ってね、文化祭体調崩したら元も子もないよ、っていってわかったーって言うからおお、と思ったら、翌日何やかんやで行ってなかったという。

そして私は見事に翌日には移ってて。

しかももともと鼻やられてるから悪化するのも早く。
午後にはフラッフラになって、でも最後の授業は日本史だし、茶道部・・・とか思って頑張って受けたのですが、部活でグラグラする頭を押さえて点前をし、保健室に行くと。


38.1・・・・・・・。


嘘だろ、と思ってフラッフラしながら帰りました。

んで翌日、つまり文化祭前日は病院行ってから準備に行こうと思ったら熱があり。
病院に行くとまあ、疲れが出たのでしょう、風邪かな、レベルだったのに、手っ取り早く点滴を打ってもらうことにして、採血してもらったら「もしかしたらマイコプラズマ肺炎かもー。」ってなことに。

弱きじゃ文化祭行けないよーってなったから絶対に出てやる、治ってやる、な気で頑張ったのが、前日ですね。

部員が、こんな身勝手を許してくれたことに感謝。