かすてぃら
実は試験ちょい前に読み終わりました。
- 作者: さだまさし
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/04/05
- メディア: 単行本
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自伝的小説、っていうことでどんなだろう、と思いましたが。
作り話みたいな、でも事実だったんだろうなあ、と。
人間泣きたい時に上手く泣けないこともあるよなあ、と思ったり。
でも、素敵なお父様だったようで。
読んでて清々しかったです。
私はまだ、実際に人の死を、自分の身内で体験したことがない。
祖父母はまだ健在で、ただ、祖父の一人が痴呆が始まったのをちょっと悲しく思うけれど。
曾祖父母はというと、父方の曾祖母ひとりは生きていて。
あとの曾祖父母は、私が生まれる前には既に亡くなっていて。
母方の祖父母はしゃっきりした方だと。
父方の曾祖父は、素敵な人だったから、お前にも会わせてやりたかったと、本当に、本当に一度だけ、父がぽつりと呟いたことがあった。
曾祖母は、生きているのだけれど、施設に入ったと聞いた。
聞いた、っていうのは、私はもう何年も会ってないから。
祖父が、喧嘩してしまって。
でも、やっぱり最後に頼るのは祖父だったみたいで、何度か、施設に入る前、他の親戚に相談して会いに行ってたみたいだった。
施設に入ることを説得したのも祖父。
そして、それにあたって、優しかったと父が呟いた曾祖父の、お仏壇と遺影を、我が家へと引き取って、お仏壇を新調しようと決めたのも祖父。
未だに、お仏壇を入れるときに、お坊さんのお経を聞きながらうなだれていて、わずかに震えていた祖父の後姿が忘れられない。
私が中学に入った時に、こっちに暮らさないかと、曾祖母を呼んだことがあった。
でも、島の暮らしが好きだと言って、曾祖母はあっと言う間に帰ってしまった。
そのころから痴呆が少し始まっていて、あっと言う間に帰った曾祖母に、何も出来なかったことが悔しくて、何故だかわからないけど、無償に泣いた記憶がある。
今考えれば、会えたのはそれっきりだから。
実の息子と、孫にあたる、父と、祖父のことを考えると、会いに行きたいと、中々言えない。
そして、痴呆が進んで、身体も弱って、施設のベットにおさまっている曾祖母を目の当たりにする覚悟も、私にはまだないのだと、思う。
でも、いつか訪れるその日に、何も出来なかった、って、以前みたいに泣くことになるのだろうと思うと、生きている間に会いたいとは、思う。
曾祖母が作る少し辛めのきんぴらごぼうが大好きだと、まだ直に言ったことがない。
誰かが亡くなったと聞くたび、私は誰よりも先に死にたいと思うけれど。
小学校の恩師の、「私より先に死なないで下さい」っていう言葉があって、それを破る勇気もないし、まだ未練もありすぎて、そういうことも出来ないでいるし、多分今後だってそう。
いつか迎えなきゃいけないその日があるのだな、と、かすてぃらを読んで、しみじみと思った。
私の年代だと、周りに、そういう祖父母とか、曾祖父母の身近な人の死を体験した人が多くなってくる。
私は恵まれていると思うけれど。
痴呆とか肌で感じるだけじゃなくて、頭でも理解する年になったから、いつ来るかと恐い。
7秒に1人が、この世界のどこかで亡くなっているらしい。
その7秒を、普段は忘れ去ってしまうけれど。
ふいにそんなことを思い出した。
かすてぃら。
買ってきてくれた父は、どういう思いで読むのかしら、と。
そして、ちょっとだけ。
上京したさださんのところに、自分もいつかは、と悲しみが沸きあがったことも。
家族には、秘密。
野火でした。