ヒロシマ

広島人として生きていくということ。
それはヒロシマの地に生きるということ。


明日が、放射線を受けた瓦礫の地方受け入れの回答日なんですね。
東北を中心に受け入れ表明してる県がありますが。
・・・東北中心でどうするの、ってちょっと思わなくもない。

もちろん、地理上の問題だってあるんだと思うのだけれど。
がんばれ、って、言っておいて、支える側の私達が動かないのはいかがなものだろう。

広島県はどうなのかな、って思ったら、慎重な姿勢をとるってことで、保留らしいです。
最終段階の回答はどうかよくわからないですけれど。
少なくともテレビのインタビューでは。

私達広島県民は、核に対して慎重にならざるを得ない。
それは、自分達が、受けたから。
そして長年苦しんできたから。

そういうコメントだったけれど。

私は、違うんじゃないかな、って、思う。

長期戦での苦しみを知っているならば、真っ先に手を差し伸べるべきじゃないかしら。

放射能が、って、敏感になる人もいるのかもしれないけど。

それって、広島の罪・・・じゃないけど。何ていえばいいんだろう。
責任のようなものがある気がして。

ずっと、もう二度とないようにと、核の恐ろしさ、放射能の恐ろしさを伝えることばかりに走っていたけれど。
そればかりが先行して、恐ろしい、っていうイメージをむやみやたらと広めた結果が、今回の震災後の、福島の人々の多くの不安の声であるし、福島の住民の人への、冷淡な対応なんだと、個人的に思っている。
被爆者、そういうレッテルを勝手に貼って、隔離しようとしたり、敬遠しようとした人が居ることは許せないと個人的に思うけれど、それは無責任に恐ろしさだけを誇張していった広島のせいだとも、思う。

長い間、被爆者は、被爆者は、って様々に言ってきて。
行き過ぎた行動もあったと思う。

そうやって過剰に反応してきたから、広島には原発がなかったけれど。
そういう広島では過敏に反応していたのに、他県にあったのをそのままにしておいたということは、つまりは広島は自分達の保身だけに、他県の犠牲に目を瞑ったことになるのだから。

私は原発反対、と事後になって声高に叫ぶ人も好きじゃないし、原発反対かと言われれば、実はそうではないのだけれど。

広島に生きる県民としては、やっぱり、原発のない地域に住んでいるっていうことは、そういうことであると思うし、何より過敏な、過剰な反応が、同じ立場であるはずの人を、今回苦しめたと思っている。

そういう観念が薄いように思えるけれど、私のこの観念は個人の思想でしかないし、世間知らずの高校生の青い思想でしかないから、正しいとも言えない。


だけど、私は、広島人は、福島の人達に対して、負い目があると思うし、負い目を感じてしかるべきだと思うから。


出来るなら、「私達が引き受ける」と、真っ先に名乗り出るような県であって欲しかった。