去年の、今年の、この先も

去年の、今年の、この先も。

今日という日を、忘れない。



先輩の自殺の時も、震災から暫くたってからの時も、思った。気付いてしまった。

私は、どうしたって、過去にしてしまうこと。

繋ぎとめたい、って思ったって、どうやったって、薄れてしまうこと。

自分のことでなければ、薄れるのか。
ならば、何故自分のことに出来ないのか。

ひとり、確かに、同じ校舎内に居た人が、居なくなったのに。

火山のニュースに、心を痛めたのに。

地震のニュースに、画面の前で固まったのに。

恐いと思って、悲しいと思って、何でって思って。

渦巻いていた感情は、確かにあったのに。

また日々に戻っていく自分が。

思い出す時間の短くなる薄情な自分が。

嫌で嫌で仕方がないのに、どうしようもないこと。

このブログにも、こういうことって、何度も書いたけど。
何度考えても、答えは出ない。

ただ、何かしらのおりに、こうして吐き出すおりに、少しずつ、ほぐれていっているのは、事実。

       それぞれの日々を生きていくけど でもふと君を想う
       君は元気でいるだろうか 泣いたりしていないだろうか
       笑ってくれているだろうか 今日も倖せだろうか
       そんな風に想うよ これからも

ずっと、繋ぐことは難しいけれど。
そんな風に、日々の中に、ふと、見つけて。

誰かを、想う。

そんな人間でありたい。

そんな人間だと、頷いて貰えるような日々を。
過ごせていた私だったら、いい。

この1年で。

私は薄情だけれど。

大切だと、確かに、想ったから。


今日は、結構小出しにして、呟き多くなると、思う。