鉄棒の味

子供って、すごいな、って思う。

1月2日。
尾道の千光寺ロープウェイ乗り場付近の神社。ごめんなさい、名前を覚えていないです。

そこの石段を男性が掃除してらして。
その傍らの大きな石の上に小さな男の子が乗っていた。
寝そべっていた。昔のたれぱんだ、ってキャラクターと同じかっこう。
石段を登る際は、掃除手伝ってくれると嬉しいんだけどなーと言いながら、箒の先で子供をちょんちょん、とつついてて。
ああ、いい光景だなーって思って通り過ぎて。

石段を降りる時の会話がとても面白くて、録音したいな、って思いながら、ケータイのメモに打ち込んだ。

男の子は大きな石の上に座ったまま胸を張って「僕は山の上に居るんだ。」って言った。
男性が「山の上で何してるの?」って聞くと、「雲食べてる。」って言う。
「雲は何味?」って言うと、「雲はね、空気で出来てるから。」という。
どうも、食べれるんだよ、エヘン、って言いたかったのだと思う。
それを察してか、男性が「うん、じゃけえ、雲は何味なの?」と優しく聞いた。
何味になるのかな、甘い綿菓子みたいなのかな、って耳をすましてたら、男の子は。

「うーんとね、鉄棒の味。」と、一言。

男性の方が「鉄棒の味?」って仰ったところで、私の耳には続きは入らなくなった。

子供って、いいな、すごいな、って思って。
何だかいいな、ってすごく思って、メモした。
こういうとき、良い手帳があればいいな、って思う。
いや、あるんだけど。メモとかの、ね。

そして、子供も良いな、って思うし、同時に、「そうなんだ〜。」って子供相手に流す大人が多い中、ちゃんと聞いてあげる男性も良いな、って思った。
白に淡い水色?エメラルドグリーン?素敵な色の、袴が、すがすがしい。
500色の色鉛筆(ブログパーツ参照)でいうと、グラスホッパーが1番近い気がする。

愛想良く聞こえる相槌より、遥かに素っ気無く聞こえるけど、話を聞いてくれてるその素っ気無さの方が、ずっとずっといいよな、って思う。


あけましておめでとうございます。

これだって、お決まりの言葉だけれど、素っ気無く響かないよな、って思う。
年の始めに、ただ一時でも、その人のことを思うのって、いいよな、って思う。
だから、年賀状は大好き。

早いもので、はてなで、2回目の「あけましておめでとう」を迎える。
不精者だから、更新も全然しないし、中々他の方のところへお邪魔出来ないのだけれど。
それでも、コメントや、スターがとてもありがたい。
申し訳ないくらいに。
本当は、一方、一方へメッセージを送るべきですが、今回は、コメントでの挨拶とさせていただきます無礼をお許し下さいませ。

そして、個人の信念、と言えば聞こえはいいけれど、単なる勝手な私論で。

「素敵な1年になりますように」ではなくって、「かけがえのないもの(年)でありますように」って年賀状メッセージでも、メールでも、コメントでも送ります。

あ、この台詞、実は誕生日なんかでも使うんですけれど。

生きてたら、どうしたって、嫌なことや、辛いことや、苦しいことって、直面すると思うんです。

それでも、終わりよければ全て良し、っていう風に、まとめれれば良いけれど、そうでないことだって、あると思うんです。

でも、そういう経験って、必ず自分のためになると思うんです。

そんなもの味わいたくないし、只中に居る時には、苦痛でしかないけれど。
抜けたって、トラウマになっちゃうだけかもしれないけれど。

それでも、痛みを知っている人は人の痛みを思うことが出来るし。
人の狡さを知っている人は、人の優しさの尊さを思うことが出来ると思うし。
自分の嫌なことだって、知っているから、人の良さに目を向けれるのかもしれないと思うし、知っているから、それでも好きだ、って言ってくれる人を大切にしようと思えるものだと思う。
自分が転んだら、次は、他の人は同じ様に転ばぬよう、手を差し伸べることが、出来るかもしれないし。
転んだその手を、取ることが出来るかもしれないし。

そういう過去を全部通して出来ていく未来の自分は、現在の自分にはまだ見えないけれど。

いつか、その先の自分が「それでも、まあ、全部が全部、悪くはなかったんじゃない?」って思えるような、今であって欲しいから。

この新しい1年に起きた良いことも、嫌なことも、全て、未来の自分の優しさとなりますように、強さとなりますように。

その全てが、未来の自分を創る唯一無二の糧となりますよう。

だから、今年も、私は。

この2012年という1年が、どうか、皆様にとってかけがえのないものでありますように。

今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

野火でした。