ヒトトキ

ひとりで友人を待つ一時。
通りかかった人と話す一時。
友人がごめんとやってきて、一緒に帰る一時。

人と密接してるのかなー・・・「人時」とか、どうだろう、と、そんなことをぼんやり。

友人を部活後に下駄箱で待っていたら、去年のクラスの委員長が話かけてくれたり、書道部の友人が話かけてくれたりした。
それが勿論、こっちは坐っているから立っている相手を見上げる形になるのだけれど。
もうひとり、最後に通りかかった同じクラスの方が。
「あれ、野火さん?」
振り返ったら、話したいのだけれど、中々話せない、終業式の居残り同士 笑
思わず嬉しくなってしまって。

もともと私みたいな話好きで支離滅裂なことを言う私の言葉でもしっかり受け止めて聞いてくれる人だったのですが。

わざわざ私の坐っている正面まで来て、しゃがんで話してくれた。
つまり、私が後ろを向くことなく、見上げることなく目線を合わせれるようにしてくれた。

それがあんまりにも自然で、ああ、いいなあ、と。

聞き上手な人になりたい、と思っても、どうしても話したいばっかりの私には出来ず。
だから、そういうのって、本当に憧れてしまう。
そして何より、話す方としても目を見て頷いて聞いてくれると、とても嬉しい。

私の場合、聞いてなさそうで聞いてる、よりも聞いてそうで聞いてないぐらいの方が好きだったりする。
勿論、聞いてもらうにこしたことはないのだけれど。

素敵だな、ってほっこり。心の安らぎ。


そして戻ってきた友人が「日本史の先生、坂本龍馬が1番好きなんだって」と報告を入れてくれ、思わず、「え、ほんま!?やった!!!」と満面の笑みにガッツポーズに大声で叫ぶという。

目線を合わせてくれていた方が苦笑して一言。

「何かすごいテンション上がったけど。」

・・・恥ずかしいようななんというか。

また話せたらいいのだけれど、どうせ私のことだから、明日になったらもうこちらから「おはよう」を言うのもおこがましく思えてくるに違いない。

また話かけてくれることを密かに祈っているのだけれど、それだけじゃいけないよな、と思うは思う。

そして、話をするばかりじゃなくて、出来るように徳川四天王をちゃんと勉強しようと、誓う。(その方が最近戦国時代の、そのあたりが好きだと話していた。)


明日はお茶会です。
書道部でもないのに忘れてた会記を書いたけれど、上手くいかずにかなり手間取った。
これでも失敗したけれど。

字の綺麗な人にもなりたい。

人間は憧れて生きているのだとつくづく。

「ヒトトキ」。