DO

お久しぶりです。修学旅行記はのんびりと書こう、と最近更新怠ってます(^^;)
でも睡眠時間増やしてから勉強全然してないからあれかと思ったのですが、睡眠時間増やしたことで授業中に全然眠くならなくなりまして今までの3倍ぐらい授業内容が頭に入るようになってきているので、効率は逆に上がった気がします。
なので更新かな〜りスローになってくると思うのですが、大目に見て下さい・・・。
いえ、まあ、更新しなくても何ら問題はないのですが・・・多分。
あ、更新しないぶん皆様のブログに行くこと出来なくなってます、すみません!!!

さてさて、修学旅行記の2日目より先に書いておこうと思うことが色々あって、ちょうどキリが良いのでまとめてひとつの記事にしようかと。

キリが良いとは何か・・・。

私より年齢層上の方々は何度か経験していらっしゃるので何も目新しいことはなく、世間でもほとんど騒がれることはなかったのですが。

古代マヤ文明を研究していることの話からいうと、丁度今日で暦が変わったらしいのですね。
マヤ文明において平安時代の日本とか西洋でもそういう話はあったらしいですが。
あ、聞きかじりなのであてにはなりませぬよ!!

何か、人類滅亡、という話が。

昨日学校に行くと何人かが騒いでおりました。そういえば今週初めに去年のクラスの委員長が地学の時間に先生に「先生、今週末で世界は終わるって本当ですか。」と質問していたなあ、と思い出す。
どこ情報なのかしらん、と思っていたのですが、知っている人はじわりじわりと知ってたようです。
先生は昨日希望者参加の天体観測ということもあって「それは困りますね。せめて天体観測してからがいいんですけどね。」とのこと。
そして軽く流さずに「え、地球が滅びるの?人類が滅びるの?」と聞き始め、「人類が滅ぶなら可能性としては地下壕を掘るのが妥当なんですけどねー。」と多くの原因で生き残る可能性の高い話を。「地球が終わるとしたら太陽爆発か何か大きな星との衝突とかなんですけど、そんな話は入ってませんねー、今のところ。」と。
「まあ本当だったらちょうど金曜に皆さん授業ありますからご報告しますね。」とのこと。
そして最後にぽつりと「まあ本当だったら皆さん今学校来てないと思いますけどね。多分余生を楽しめということになってますよ。」

そんな余生(仮)の1週間、色々感情に波がありつつも金曜日。

学校来たら・・・でびっくり。そんなの忘れてドラフト会議観てましたよ。
ロッテ1位指名の藤岡さんが抽選になり、当たった後涙・・・。
マイナーなロッテは嫌かしら、今年は後半調子悪かったし・・・と思っていたらうれし涙、とのことで私が嬉しくなりました。
そして天体観測にウキウキしてましたよ。

そんなふうな扱いだったのに最後の日(仮)という。
ちなみに朝放送部が曲を流してくれるのですが、なんと流れた曲が、私も大好きなDOESの「世界の果て」(笑)

あ、DOES!とテンション上がるのですが「いや、題名!!!」という(笑)

DOESつながりで、題名つながりでついでに頭の中に流れたのは「明日は来るのか」(笑)

不思議な気分。やっぱり一部騒いでいると会話にものぼるもので。

小学校とかで流行っていたプロフィールとかでも「明日世界が滅びるとしたら何がしたい」とかいう質問あったのですが、まさにそんな会話。
友人は「リア充になりたい」とのこと。
個人的に「リア充」という言葉は正直嫌いなのですが・・・。そういうものかしら、と。私の「リア充」の言葉から受ける印象は“付き合っている人がいる”ということであって、好きな人、とかそういう印象がないのですよね。
リア充になりたい、と聞くと何だか、付き合えればよい、という風に感じてしまう・・・。
いえ、この言葉の真意はわかりませんが。
そういうのは殿方に失礼じゃないかしら、と思う。
付き合っておきたい・・・最後の日に想いを告げたいとかではないのか、と思いつつ。

私は小学校の時分から「毒薬を飲んでひっそりと死にたい」と答えるような輩でしたが、正にそんな感じ。
痛みを感じたくない、というのもあるし、目の前の大事な人の惨事を知っていて目の当たりにするのは嫌だ、というのがあります。
自らの命を絶つのは悲しいけれど、そんな最後の時にはある意味幸せなのかも、と思ったり・・・。

あとは「家族と一緒に居たい」でしたでしょうか。
うん、それはわかるようなわからないような。
でも大事な人と最後を迎えたい・・・というのは共感出来るけれど、私には出来る自信がないなあ・・・と思う。
人知れず、1人で死にたい・・・と思わぬことも。龍馬さんのお墓の前とか行きたい・・・というのもあるやも。

そして「どうせ死ぬならば2日前が良かった」というのは私の意見。
北杜夫さんが亡くなってしまった、という話は私にとってとても痛手でした。
その話を聞く前に死にたかった、という意見。

私はどうもこう、死に対して人より思うところが強いのやもしれず。
北杜夫さんのお話を聞いたときには、もう涙涙で。
いえ、そういう人は多くいらっしゃると思うのですが。
私はあと何人見送ればいいのかしら、と思うと嫌になってしまうもので。
今までは自分の知らない時代に活躍された方が多かったのですが、ここ数年で私の大好きな方々がそういうニュースに名を馳せるようになってしまいました。
二年前の藤田まことさんに始まり、大沢親分に、児玉清さん、そして今回の北杜夫さん。
そしてお歳でなくとも、元カープ木村拓也さんやサッカーの松田直樹さん。そして、伊良部さんや、学校のW先輩。
今現在の女性の平均寿命までとしても70年近く残っているのに、その間に何人の方々が・・・と思うと、やるせなくなります。
小学校の大好きな恩師の卒業の時の言葉は「私より先に死なないで下さい」でしたが、私はその恩師より先に死にたい、と思ってしまう。

大切な人が居れば居るだけ、その人を見送りたくない、と思ってしまう。
そして、死んで欲しくない、と思えば思うだけ、その気持ちがあるから、自分の命を無碍には出来ない、と思う。

最後の日だから飛び交った「死」っていう言葉。でも、いつでも自分のどこかについて回っているのだと、思う。

だから「死ね」という言葉は、絶対に許したくない。

天体観測はあいにくの曇りで、見えず、また来月の新月の時期にリベンジとなりました。

木星が見えたくらいでしょうか。いえ、木星の衛星まで見せていただいたのですから、くらい、とは失礼ですね。

そして布団に入る時、明日は・・・と思いながら寝たものの、やはり朝は来た。

また朝が来る

計らずも同じDOから始まるドリカムの曲を頭の中で流しながら、野火でした。


つい2つ前の記事で紹介したどくとるマンボウ

北杜夫さんの、ご冥福を祈って。

ゆっくりでも、修学旅行記は、ちゃんとやりたい。