ご冥福をお祈りして
あんまりテレビ、見れなかった土日と、この土曜日。
結局更新出来なかったので、久々にPCをつけたら。
・・・昨日、児玉清さんが、亡くなられたのですね。
娘さんの元へ。9年前の、娘さんと同じ、胃がんだなんて。
藤田まことさんが亡くなられた時も、同じように久しぶりにつけたPCでした。
PCの前で、ひとりボロボロ・・・。
藤田まことさん。親分こと、張本さん。それに、今回の、児玉清さん。大好きな方々が、本当に、また1人、また1人、と、旅立って行かれます。
いつの時代に生まれたって、そうなのですが。
自分が生まれるということは、必然的に、自分より先に生まれた人がいらして。
必然、では決してないかもしれないけれど、そういう方々を見送らなければならなくて。
いえ、見送る方が、先に生まれていることも、ありますね。
身近な方、大好きな方、大切な人を、いつか見送る日が、来たりするのか、と思ったりします。
そういう出来事が、起こるたびに、思ってしまいます。そのたびに、やはり、泣いてしまいます。
誰かを、見送る、というのは、確かに自分が生きている証ではあるのかもしれないけれど。やはり、嫌だなあ、だなんて、思ってしまいます。
こういう時、早く立ち直る方がいいのだろうかと思ったり、でもそれは何だか、って思ったり。
ぽっかりと、大きな、もっと大きな、喪失感を感じている方も、いらっしゃるんだろうな、って思ったり。
今回の大震災でも、急な別れを経験して、大切な方を見送られた方、もしくは、見送ることすら、叶わなかった方、いらっしゃいます。
児玉さんのあのスマートな司会も、声も、優雅で、深みのある演技も。
こんな時にこそ、まさに、今こそ、見たい、聞きたい、と思いますのに。
児玉清さん。そして、皆様の、ご冥福をお祈りしております。
ついでに、私が、涙を流して、かけこんだ歌を。
こんな風に、また会おうと言って、叶わなかった方が、どんなにいらしたでしょう。
これまでも、これからも、誰かを思いながら、時に胸を痛めて、苦しんで、それでも生きていく私達に。