奔走記 part4 再会編 後編

さて長くなったので再会編後編となりました。中編に変更にならないことを願います。

さっと浴衣からクラスのポロシャツに着替えて文芸部室に戻ると先生に「もう着替えちゃったの」と言われる。

そして「運命感じたわ。鳥肌立ったわ。」と言われる。
何のことかと思ったら。


まさかのさだまさし 笑


part2あたりでもちょっと触れましたが、過去の作品も出していて。
その内の一つに、好きな歌詞のフレーズを書くものがありまして。
皆がかっこいい横文字の歌手とか書いてる中、ひとりさださんの「道化師のソネット」を書いた私。

先生がそれを見て発した言葉だったのですが。
事情をお聞きすると、先生もコンサートに通うぐらい好きだったとか。

さだまさし好きって言ったことなかったわよねえ?」
「初耳ですね。」
「そうよねえ、もう、見た時鳥肌たっちゃった。しかもこれ2番歌詞でしょう?」
「そうです、2番の方が好きで。」
「そうよね、1番は『別々の山』だものね。」
「そうです、そうです。」
「さださんは好きでねえ、学級通信にしてた時もあったのよ。あれ、あなたの時は星野富弘さんか。」
「そうですよ。私未だに取ってます。」
「本当に?」
「取ってるんですよ。」
「そうそう、それこそ息子達が大学で山口行ってた時には案山子聴いてましたよ。」
「ああ、1,2年前にドラマになりましたよね。」
「そうなのよ。」

ってそういう、そういう・・・。

相変わらず趣味被るんですね、と。50過ぎと17歳だけど 笑
小学校の頃から趣味はよく合ってました。
というか、私の趣味が同年代に合う人が小学校の時は特にいなかったので。
ドラマの話とか、NHKのその時歴史が動いたとか、プロジェクトXとか。
周りに好んで毎週見てます、みたいな小学生居なかったので。

実は先生の息子さんが2人いらして、私の高校の卒業生で。

「息子達の頃にはここの文芸部の部誌もずっと文化祭でいただいていたのだけど、そうかあ、もう十号なのねえ。印刷にもなって立派になって・・・。」

部誌の名前は実は「半月」というのですが、コンクール結果も報告出来ていなかったので、文化祭のお誘いの際にその作品の載った半月を送ったのですが。

「届いた日が丁度半月の日で。もう、って思いながら読んだのよ。」

と嬉しいエピソード。

「どしゃぶりの雨の中傘差してポストまで出しに行ったんですよ。」

とか、とか、後輩の前で、後輩も交えて話しつつ。私店番のはずなのに何しに来た。

すでにそこでは部誌は完配だったので、先生の手に届いたのは本当に良かった。

茶道部のハプニング(part3参照)についても、「やっぱり変わらないわね。」って言われました。

「落ち着いて冷静にちゃんと対処出来てて良かったわ。」
「内心すっごく焦ってたんですけどね。」
「ううん。最後に火傷ありませんでしたか、って声掛けてるのもさすがだったわ。」
「そういうもんですかね?」
「うん、あれあるのとないのとじゃ大分違うからねえ。成長したのねえ、あなた。相変わらずだけど。」

相変わらずですか 笑

中々高校に入ると、手紙のやりとりも頻繁に出来ず(もともと私は筆が遅いのですが)去年先生からのお手紙で今度はお茶を一緒に、と言っていたのに、受験生で暇がないですね、という話になり。

手を握りながら「もう本当に生涯の付き合いだわ。」と言って下さった先生に「受験忙しいですけど、終わったら報告に行きますから、是非ともお茶に行きましょうね!」と言うと、「もういっそ受験終わったらふたりで旅行にでも行きましょう、卒業旅行!!」と泣きそうになるぐらいのお言葉を頂く。
「はい、もう是非!!!」

後輩ぽかーんとしてました。
こちらの後輩にも部誌素晴らしかったわ!とか色々言いながら別れて、「今の方、どなたですか。」と聴かれました。

小学校の先生と旅行に行く高校生って・・・というおかしさというか、その珍しさに気付くのは、家でウキウキと話して両親につっこまれてから。


そして部誌をとっているやつをいくらか出しても良いかと顧問の先生を探しているとつい先ほど別れたはずの先生ともう一度再会 笑

職員室の前で、今度は進路の話をしました。

先生のお子さんも大学は山口に出たそうで。

「でも今近所に好きな本屋さんがあって、離れたくないんです。」と言うと、先生に「うちの息子達も好きな映画館と本屋がないと嘆いていたわ。」とのこと。
歴史学科志望で、少ないので、広大か山口になっちゃうんです。」と言うと「広大は難しいの?」と言われ。

「私には数ⅡBは無理でした。」と情け無い報告をすると「私も全く同じだったわ。」と笑われる。

そして、「あとは?」と言われて「あとは、広島に居たいので、県立広島とか、あと、実は尾道市立大学に作家の光原百合さんという方がいらして。」というと、「独特の選び方ではあるけれど、あなたはそうやって興味あることに固まってるなら良いわ。」とのこと。

「でも作品読んでも思ったけど、あなたは書き続けた方がいいわ。本当に。」

この言葉の本当に嬉しかったこと。

私が書くことが好きな原点は、本当に、本当にこの先生にあって。

この先生が異常なくらい小学校の時に丁寧に作文を指導してくださったお陰で、のびた、とか以前に、自分が書くことが好きだというのが芽生えて。

文芸部も、ずっとその延長線上にある気がして、先生に報告していたのでした。

「書くのを仕事にする気はないの?」
「そうなれたら素敵ですけど、無理だと思うので、考えて無いです。」
「まあ、そうよね、書くのを仕事にするのは大変だものね。」
「はい。」
「でも、私は好きだったわよ、送って貰った作品。まあ、趣味が一緒だからなんでしょうけど。」

その言葉は最もです、とふたりでまた笑い合って。

怪我でクラリネットをやめた話もすると、「そんなのいつでも出来るわよ。」と言われました。

息子さん達が、トランペットとクラリネットを中学高校でやってらした話は知っていたのですが、なんと、大学卒業後、広島に戻って、兄弟別々の市民バンドに入ったのだとか。

「そういうことが出来る仕事につけると素敵ね。」とのこと。

ああ、そっか、って。
ずっと、ずっと。吹奏楽の演奏を聴いては泣きそうになっていたのだけれど、肩の荷がおりた気分になりました。

最後は進路の話をして、本当に別れたのですが。


本当に、一生どこまでも、付き合っていきたい先生。


実は、その先生以外にも、未だに年賀状とかでやりとりする先生はいらっしゃるのですが、やっぱり少しずつ疎遠になって。

この先生も、ずっと小学校時代のあだ名で手紙を下さってたのが、今年の年賀状で、苗字にさん付けになって、寂しいなあ、と思っていたのですが。

文化祭で会うと話の最中に「そうねえ、野火が居た頃は。」って下の名前の呼び捨てになってました。
下の名前でいきなり呼ばれるの嫌いなのだけれど、先生だから、すっごく嬉しかった。

まあ、基本は「あなた」なのですが 笑
良いのです、私もずっと「先生」なのですから。


ずっとずっと、「先生」「あなた」って呼び合えたら素敵。



そんな、幸せが、ずっと続けば素敵。


再会編、そして奔走記これにてようやくお開きです 笑



野火でした。