きみ去りしのち

試験週間に阻まれ。中々読み終えることの出来なかった重松清さんの「きみ去りしのち」ついに読み終えました!!!

きみ去りしのち

きみ去りしのち

いやあ・・・良かった。透明感、といいましょうか。いい感じの半透明な感じが素敵で、さすが重松さんって感じです。

確か文庫版も出ていたと思うので、探そうかな、と。普通のやつの装丁は素敵なのでとても迷うところではありますが。

でも、読んで良かったです。本当に。

人が、当たり前にそこに在った人が突然居なくなってしまう、っていうのは、本当に大きな話で、ショックなことだと、私も当然思います。

ただ、そういう時思うのが、その人を失った悲しみを、きっと現在としている人もいるのに、それを過去として、元の日常のように、笑えるようになって、薄れていくのは、果たしていいことなのかな、という。

学校で、ひとりの方が、亡くなってしまって。

皆ショックで、大きな喪失感のようなものがあって。
それなのに、数日たてば、部活も再開されるし、皆が泣いて授業を受けるわけではないし。
いちいち、あの時・・・って、思う人は居ないし。
あんなに、あれほど“死”というものを間のあたりにしたはずなのに、「死にたい」とか、「死ね」って口走る人もいる。

そういう、ごく普通の日常に戻るのって、いいのかな、どうなのかな、とよく思います。
家族や、親しかった友人、そして、担任していた先生や、生徒会で一緒になっていた先生。

亡くなってしまったことを、きっと、過去と出来ない人も居るのに、他の人が過去の話にしていいのかな、と思ったりします。

あんな事件があったよね、って、そういう言い方が、1番ずっしりしたり。

でも、自分も、別のことだったり、もしかしたら同じことで、そういう事を言っていたりするのかな、と。

実際、私は普通に笑ってるよな、と思ったり。

そんなやるせない感じが、少しほどかれるような、何ともいえない気持ちになりました。