伊良部さんに・・・
自分で、自分の命を絶つほど、壮絶なことはないと思う。
同時に、とても悲しいこと、苦しいことであると思うけれど、それは、傍が思うからかもしれない、と思うと、とてもやりきれない。
見方を変えれば、自分の命の終わりを自分で決めることが出来るのは、幸せになるのかもしれない、とも思うと、本当にやるせない。
あんな偉人が。
一度引退しながらも、再びマウンドに立って。去年まで、活躍していらしたのに。
尊敬していらした方も、憧れを抱いていた方も大勢いらしたと思うのに。
それだけが、人の幸せではないのだと、ぼんやりテレビの前で思ったりも、しました。
繊細な方だったし、真直ぐな方だったのかもしれない。
もしかしたら、「偉人」と称されるのも、苦手としていたのでしょうか。
人は、忍耐出来るから人なんだと、聞いたことがあります。
他の生き物にはない、耐える、我慢する、自分を抑制することが出来るのが、人間の最大の特徴、と。
でも、そうだとしたら、ありきたりな言葉だけれど、人間って、難しいな、って。
どんなに憧れられても、尊敬されても、愛されても、その人の幸せに直結するとは限らない。
そして、耐える生き物だから、やっぱり、虚勢をはるのかもしれない。
大丈夫だよ、と笑って、押し隠すのかもしれません。
その姿は、とても尊いけれど、愛しいけれど。
やっぱり、ちょっと、悔しいです。
先輩の自殺と、ちょっと、重なっている部分があります。
生徒会で、人望も厚かったのに、突如、自ら命を絶ってしまわれた先輩と。
樹と人って、少し似ていると思う。
まっすぐ伸びた樹ほど、倒れるのはたやすくて。
強い風で、大きな樹が、突如倒れたりします。きっと、それは、一度のことじゃなくて、蓄積されたものだって、あるはず。
他人の手で、切り倒されることだって、あります。
小さな子の手で、いともあっさりと、大木の枝先が折られたりします。
そうして、倒れるのは一瞬でも、立て直すのは、本当に困難。
伸びるぶんだけ、下にしっかりとした根を張らないといけないと思う。
人も、樹も。
外より、内に秘めているものが、支えになるものが、大きければいいと思う。
けれど、それは本当に容易いことではないのだと、思う。
前回の自己紹介バトンでも書いた気がする。
柳の樹は、理想の生き様に思える。
怪談では、井戸端とか、川沿いの、幽霊の出そうな場所に立っていて、ゆらゆらと長い枝を不気味に揺らしながら立っている冷たいイメージがあるようで。
あんまり受け入れられないかも。少なくとも、私の友人には。
でも、外はそうとられていたって。
強い風が吹いて、のんびりと立っているのは、意外と柳だったりする。
ゆらゆらした枝は、しなってて、折ろうとしても、中々折れない。
さすがに、他人のひどい介入には倒れるけれど、あんまり材木として使われない。
けど、時々、植えられてる。
風を受けて、頑張って耐えようとする大木が、今回の伊良部さんのような人で、それは本当はわからないだけで、人間って、皆そうだと思う。
一見風に吹かれて身を任せ、揺れながら、それでいて実は風をさらさらと受け流して飄々として立っているあんな細い柳。
あんな生き様に憧れるけれど。
それは多分人よりもはるかに長い歴史の中で、あがいて、もがいて、ようやく辿り着いた、柳という樹の結果、もしかしたら、経過のひとつなのだと思う。
人間は、葛藤する生き物だと聞いたことがある。
他の生き物にはない、悩みや、迷いを抱えて、葛藤することが、人間を成長させるのだとか。
本当に人間がそうだとしたら、柳のような生き方は出来ないのかもしれない。
辿り着いても、まだ先を考えてしまうのかもしれない。
伊良部さんは、決して、弱いわけではなくて。今回のことも、裏を返せば強いのかもしれない、と思うと、複雑、混沌。
でも、自分の命を絶つことが強さと言っても良いのかは、誰にもわからないと思う。
きっと、頑張ってたんだと思う。伸びようとして。
そういう人に、頑張って、じゃなくて、休んでいいよ、って言える、そんな人間になりたい。
ご冥福を、お祈りして。
今日は、「今夜も生でさだまさし」
少しでも、さださんの言葉で、触れてくれると、良いのに、と願う。
私達は、胸を痛めてるのだ、と少しでも示して、生きてたことを残せたら良い。